オモイアグネテ、ナオ、ウカブ…「 アカサカヒロコ 展 」

Category : 現代美術見聞記
5月19日→5月27日【 SELF-SO ART GALLERY 】

サイトはしっかりブックマークしていたのに
来たことがなかった西陣エリアの町家ギャラリー。
珍しく初日に行くことができた個展。
アカサカさんは挿画や絵本を発表しているイラストレーター。
なんとシッタカもデザイナー時代に定期購読していた
イラストレーション誌「ザ・チョイス」に2度も入選、
さらに2010年にはイタリア・ボローニャ国際絵本原画展にも入選。

まずDMにクラっとしてしまった。
DMを作らずにメールに添付された画像で作品を知るというような
傾向が当たり前になる中で
やはりポストカードサイズに込められた“ごあいさつ”は
作品とは別なセンスもそこに伺えたりするとても大事なツールであると、
つらつらと…。

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アクリルであれ、版画であれ、墨であれ、
アカサカさんの世界は、実にたおやかだ。
赤いワンピースの女性がまるで大きな縄跳びか、
ゴムだんをしているような横長の作品。
この他のアクリル画も重力が除かれたような空間に
遠近感を意識した構図で描かれていて、
少年のような女性像が印象的だ。
半透明のトレーシングペーパーに描かれた白は
はっきりと白色として存在感を放つ。
浮遊感と奥行きとがちょうどよいバランスで保たれているせいか、
なんだか安心して見ていられる絵だ。
かといってファンタジックに寄り過ぎず、
登場人物からフワフワとしみ出る“軽みある不穏さ”が、
時間の流れの中でたゆたうように思いあぐねている。
絵全体から聞こえてくる軽いリズム感も心地よい。

そしてドキッとさせられるのが銅版画。
このドキッはなんというか、銅版画の持つ色気というのか、
艶っ気ですかね。
オフホワイトの中の大人の童話。
一枚一枚にアカサカさんのイマジネーションがみっちりと…
それぞれのエピソードがある。
言葉がどんどん溢れ出てくるような、そんな作品です。

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町家の二階に上がると大版の版画作品と墨で描いた作品たち。
この墨の濃淡はすべてマスキングされて重ねて塗られたものだそう。
相当な手間がかかっているのだが、
その分、他の作品とは微妙に異なった肌触りがする。

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面白いのはトレペの椅子。
座面と背に版画が施されていて、会場に何気に置いてあると
間違えて座ってしまいそうに、なんとも部屋に馴染んでいる。
トレペで立体を作る上でパーツ別に分解したいという発想が
最初からあって、このようなスナップボタンで
取り外しができる構造になってる。
今まで立体はほとんど作ってこられなかったとは思えない出来映えで
色んなことに自然体で取り組まれている。

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跡形に見える風景…「 陶 かのうたかお 展 」

Category : 現代美術見聞記
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5月9日→5月15日【 ぎゃらりい西利 】

どこかの遺跡から、出土した土器の破片を拾い集めて
復元したかのような作品。
さて、いきなりこのような陶芸作品を目にすると
ややもすると天地がひっくり返ったかのような
なんというか、自分の抱いていた陶芸観が
見事に崩れ落ちるような気がしませんか。
シッタカが初めてかのうさんの“このような”作品に出会ったのは
まだほんの1年半ほど前のこと。
シッタカは額面通り、陶芸についても全くの門外漢で
ただ見た通りを書くしかありません。
美しいとか、繊細であるとか、技術的に優れたものであるとか
奇抜な造形であるとかは
各作家なりのバックボーンがあってのことで
彼らは常に次の企みを心の奥底でふつふつと燃やしています。
そこに得も言われぬ面白さを感じるのです。



かのうさんの作品に感じるのは「陶芸が作った風景」でした。
その姿を見た時の驚きは、
やがて勝手に自分の世界になぞらえる楽しみへと変わります。
かのうさんを語る文言に出会うたびに
海外青年協力隊員として西アフリカはニジェールで
現地の人々に作陶を指導されていたことが注目されます。
それともうひとつ、生家は百年続く京焼窯元であるということ。
そしてこの作品たち。
このそれぞれの隙間を埋めているのは確固たる生身の土でしょう。
ニジェールの土、京焼の土、かのうさんの土という
土の普遍とも言うべき造形される前の共通原理である
“化け方”ではないでしょうか。
原初的な造形であったり、
穏やかな華やかを身にまとった料理のための器であったり、
陶芸の概念を裏返したシュールなオブジェであったり、
かのうさんのプロフィールがそのまま
それぞれのフィールドを縦横無尽に駆け巡る四駆のようで
実に頼もしいのです。
激陶者集団「へうげ十作」のかのうさんですが、
この作品に込めた思いは「砂」です。
かのうさんに関する文言の中にもうひとつなるほどと思ったものがありました。
「アフリカの乾いた土に触れたかのうは、人間の力や業が及ばぬ“風化”の美を
強く意識している…」
かのうさん自らのコメントには
「本来、移ろい続け、形としてとどまる事が無く、立体として
立ち上がる事の無い砂。その砂が固まり、造形物として目の前に現れる
不思議さ、奇妙さ、美しさを見せたい」

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これらの一見、壺に見える造形こそが作家の目論みです。
陶芸、あるいは焼物と称したものは人々のイマジネーションの中では
「器的、壺的なるもの」として認識されています。
かのうさんは、ならばいっそ形を“壺状”にしてしまえと考えたわけです。
しかしこれは壺でも器でもありません。
外見は壺のなごりを押しとどめたものであっても
立ち上がった砂がそのような形を借りた
オブジェと言ってよいでしょう。
これらの素材はシャルモットと呼ばれる耐火レンガの粉末と
長石を混ぜたもので、
どこまでいってもシャルモットは焼けません。
生の粘土に混ぜて収縮率を抑えるために使います。
この焼けない素材と焼ける素材との性質を利用して
この偶然の産物のような造形を(全くできるまで予想できない)
表出させたのです。
焼けずに崩れ落ちた肌面はまるで洞窟のテクスチャのようで
シッタカはいつも隙間の向こうから小さな旅人がひょっこり
出てくるような錯覚を楽しみます。
全く意図しなかった使い方を素材に求めた、いや
利用した手腕とアイデアが成せるものです。
「これは陶芸か否か」という提示でもあると、かのうさん。
詰まるところ、陶造形は定義なんていうものを
軽く凌駕してしまうのではないか、ということですね。
ちょっと“今時の”日本画にも通じます。

この夏は「TANADAピースギャラリー」というところで
かのうさんの展覧会が予定されています。
これはとても楽しみです。



41年前の夏。

Category : ?と思う事、!と思う事、◎と思う事
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「アメリカの論理 イラクの論理」と「神の棄てた裸体」を平行読み。
今回は一刀両断の曽野綾子さんと
地べたを這う様なルポの石井光太さんを交互に読む。
この組み合わせは露天古本市ならではのヒット。
そしてベタだが前から気になっていた「カフーを待ちわびて」を読了。
なんとファンタジーな…
でも、ちょっと腑に落ちないところもあって…
主人公の左手の障がいについては冒頭で表記されているのみで
後の話の進行には、ほぼ影響が無い。
読者に障がい者であることを最初に認知させたうえで
こんな“些細な”ことは彼の人生にはノープロブレムと言いたいのか…
ちょっと置き去りにされた感。
ともあれ沖縄の架空の島、与那喜島を舞台のこの小説は
第一回ラブストーリー大賞にふさわしい甘酸っぱい話で
読んだら即、オキナワンチルダイに浸りたくなるというもの。
これを読んでいるうちに或る景色がよみがえった。

あれは17歳の夏。
カルチャーショックの連続だった京都生活の謳歌は
やがてここに無いものへの憧憬と
まるでフライパンの底のようなこの街からの解放に変容する。
そして選んだ土地は与論島だった。
なぜなら日本最南端だったからなのと
コミューンが何カ所かあるという噂が広まっていたからだった。
岡林信康が行ったとか行かなかったとか、いい加減な情報が飛び交うなか、
九州までヒッチハイク。
鹿児島から25時間も船に揺られて島に着いた時は心身ともに這々の体だった。
カラダ中の水分も食物も尽きたかのような船中地獄を味わったのは
後にも先にもあれ以来ない。

仲間3人で降り立った島。
当時島に2カ所あったコミューン(的なもの)に新参者として
入るのは抵抗があった。
時を同じくして島へ渡った何名か(とは言っても本名も知らない)
だったら自分らで作ろうじゃないか、ということで
まずは住居の確保。
茶花港から真反対にある浜で洞窟が見つかる。
まるでマンガのような展開だが何より僕たちがびっくりした。
中は20帖ほどの広さ。ただし満潮時には入り口すれすれまで海水が達する。
とにかく中を掃除して板を敷き、寝袋で寝られる環境づくりを作る。
明かりはどうする。
各自ジーンズの切れ端を芯にしたオロナミンCドリンクのランプ。
噂というものが空気のように広まるのにそう時間はかからなかった。
あれよあれと言う間に12人にもなった。
「風の噂」というのは僕ら旅人(たびにん)には結構リアルな伝達手段である。
洞窟の入り口にはシーツで作った巨大なピースマークの旗がひるがえる。
グラスボートに乗ってきた観光客の恰好の記念撮影場所となった。

遊んで暮らせるわけもないので、とにかく食い扶持を確保せねばならない。
12人はローテーションでサトウキビの刈り取りと唯一の採石場でなんとか凌ぐ。
水はすぐそばのペンションで用立ててもらったが
最初のうちだけでしばらくするといい顔をしなくなる。
それで地元のオッチャンに訊いて自力で井戸を掘ろうということになった。
オッチャンの指示の場所に掘ってみると見事水が吹き出した。
と簡単に書くが現実は大変だった…
砂浜の底から水が湧き出た時はそれこそ輪になって酒盛り。
例の与論憲法とやらでヘロヘロ。
そうこうしているうちに島民とも仲良くなってくるし、
次々と新顔が沖に停泊した客船から“はしけ”でやってくる。
でかいオフロードバイクでをはしけに積んでやってくる者もいれば、
北海道の寺の跡継ぎ息子が長髪をなびかせて訪れたりもする。
高校時代の友達が寄せ書きを送ってきた。
なんと「鹿児島県大島郡与論町タテダラ浜」の宛先で
洞窟まで郵便が届く。
苦笑いで困惑する郵便局員を見て、また笑う。

小学校での運動会。
総勢10人ほどのヒッピー然の風体の若者が
やんやの喝采を浴びながら
町民と一緒になって競技に興じる。
誠に異端な光景だが島の人達は素朴で温かだった。

島での共同生活はやがて最初の頃の新鮮さも驚きも
撹拌されたように薄まっていき、
一人、二人と去っていく。
中にはボートで、肉眼で間近に見える沖縄に密入国して
捕まった友達もいた。
島での生活は5ヶ月になっていた。

僕のコミューンごっこはこうして終った。
東京の家に戻り、肩までの髪を切り、
洞窟の壁に当てて傷跡だらけだった足をなごりの
挫折まみれの東京での“復帰”はしかし予想どおり短いものだった。
再び京都に行き、溜まり場で聞いたコミューンは
諏訪之瀬島というところでの本格的なものだった。
当時は「部族」と呼ばれる人たちが
完全なる自給自足で、後には学校まで作って
コミューンのいわゆるモデルとなっていたように思う。
「ナナオ」と呼ばれる詩人がリーダー的存在だったと聞いた。
検索するともう半世紀近くも昔のエピソードが
興味深く綴られている。
京都はそういう情報が集まり、広まっていく拠点だった。
かつてのサブカルチャーのメッカであり、
日本のカルチェラタンとも言われた京都の、京都だけの独自性は
今や希薄になりはしたが、
中途半端に東京化していた時期も淘汰されて、
やはりこの街はなお不思議な魅力に満ちている。

船賃だけを確保して友達二人と島を出た翌年、
日本最南端だった与論島がそうではなくなった。
沖縄が日本に復帰した。
そして今日は沖縄返還(アメリカ側)復帰(日本側)40周年の日。

「カフーを待ちわびて」を読みながらの
しばし南の島への惚けたような淡い想いと
複雑な沖縄の現状は、どこまでも背中合わせだ…

系図の現場、繁栄の舞台…「 太田 三郎 2012年 春 特別展示(瑞雲庵) 」

Category : 現代美術見聞記
4月30日→5月5日【 瑞雲庵 】

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上賀茂神社からほど近くの日本家屋「瑞雲庵」での展示は
テーマが「家」。
家では何が行われるか。
繁栄 ←→ 繁殖
横長に、縦長に系図をつくる“現場”はまさに「家」である。
子孫の繁栄、家内の安全、未来永劫、家系を絶やさず、
代々継承すべく、家は繁殖の場であった、そんな視点からのインスタレーション。
それは太田さんならではの「記憶の渕にかかるもの」としての
人生の一コマを彩る風物詩なのかも知れない。
またはその家なりの風土記とも言える。
その家となりを語るのにはこの家風土記という記録が欠かせない。
各立場によって引き起こされる様々な確執も受容もひっくるめて、である。
およそ、この最小の社会である家でのしがらみは
10軒あれば10の度合いも色合いも異なる“内なる出来事”で全てが構成されている。
その家々の“見えない因子”が、座敷童のように部屋の隅に丸まっている。
瑞雲庵は見事な日本家屋の従来の姿を維持しつつ、
またモダンで機能的なアレンジが施され、そのものがアートである。
太田さんはこの“かつて”の現場で、
様々に「家と生」との揺るぎなき関係を
象徴的記号としての集積や視覚から立体的に呼び起こす行為を
作品に反映させている。

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↑ミルク缶から無数にこぼれる紙片。

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↑ バイエルの楽譜を切手にしたもの。楽譜→おたまじゃくし→精子→繁殖→繁栄。
ドイツで種子を切手にしたものを紹介された時、
「Seed(種子)」が「Samen(ザーメン、精子)」と
訳されていたことに驚く。日本でいう「種違い」の種の意である。
子孫を増やす→性行為としての快感と優れた音楽を聴く官能とが結ばれる。

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↑ 刈った後の落穂をわらじにくくる。履いて歩く。籾(もみ)が散らばって種まきである。
案外たくましく道ばたで育つかも、という太田さんの楽しい空想。

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↑ 宝船が印刷された昭和47年発行の年賀切手を扇に貼る。
風を送る扇子に風を受けて進む船がこうして出会う。
宝船も末広がりの扇子も「一家繁栄」の縁起物。

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↑ 金魚の下には砂の切手。バーチャル金魚鉢。

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↑ 目で味わう観賞用ティーセット。豆の切手で召し上がる。

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↑ 電話料金、保険、年金などに見られる,
中身が透けて個人情報が見えるのを防ぐ為の細かな模様が印刷されている封筒。
これをランプシェードにする。点けるとわかる各社や法人のロゴマーク。

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↑ 部屋中にたれさがる輪飾りは全て太田さんの元に来た
スパムメールのアドレスをプリントしたもの。
内容はといえば大半が出会い系、ED治療薬、男性器増大薬、媚薬など
性的欲望にダイレクトに訴える、言うなればとても人間臭いもの。
輪飾りに桜の切手をからませる。
「震災後、花見などの自粛ムードが気になった」と太田さん。
何が起ころうが関係なしに迷惑メールはこうして淡々と送り続けられる、
まるで自動的に…
「悲しみの中でも新しい命を受けて前へ進むことも大事」(太田さん)

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↑ 20年以上作り続けている種子切手「Seed Project」の中の
2008年に京都御苑で採取したクロマツの種子切手を
シャーレに入れて床の間に。
掛け軸の代わりに松ぼっくりのアロハを吊るす。

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↑ 虫かごから出ているのはカラスムギの種子。遠目に見るとまるで虫である。
しかも昆虫の後足に見える2本の長いノギ
(穂から落ちると乾湿運動によってなんと種子が前進する!)
によって展示しているうちにカゴからかなり移動している。驚き。

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↑ 敷地奥の蔵の床。
太田さんはなにぶん、物が捨てられない性分。
ここには貰った手紙、ハガキ、預金通帳、給料明細、雑誌などの
あらゆる紙片を切手状にしたものが敷き詰めてある。
家にとっての記憶と情報の保管場所ともいえる蔵に展示。なるほど…

以上、見聞記は会期を大幅に過ぎてしまいました。
それだけに考えさせる展示でした。
facebookにもコメントしましたが、
お会いし、お話させていただいた太田さんのくりっとした目の
きれいなことに驚き、感激しました。
ありがとうございました。




















美しい記憶はその日以前に巻き戻る…「 太田 三郎 2012年 春(COHJU)」

Category : 現代美術見聞記
4月7日→5月5日【 COHJU contemporary art 】

そこにある文字や写真は当たり前のように
購読者に“ほぼ昨日”あった出来事を知らせるべく、
郵便受けにカタンと配達され、売店で襟を正して並んでいる。
日々の新聞。

ギャラリーの壁一面に張られているのは、その日々の新聞を漉(す)いたもの。
灰色の手漉きハガキは近づいてみると
かすかに文字の破片が認識できるほどだ。
新聞であった事実を、事実として記録された物言わぬ長方形。
354枚のハガキのうち、一枚だけが空白になって、
反対側の壁に張られている。
それは3月12日の新聞を漉いたハガキ。
前日に日本の東北で起こったことの全体像がまだ把握されていない。
とんでもない出来事は、これから何回も何十回も
津波のようにじわじわと、その凄惨な事実を伝えてきた。
見えなかったものが、知らなかったことが
その後、継続的に報じられることにより、
僕たちの前に全容をむきだしにする。
しかし僕の知っているのはテレビに映り、新聞に印刷される、
四角にトリミングされた情報だけ。
この四角なハガキもまた、トリミングされた事実を
こうして散らばった活字の下に潜ませている。
が、これは判別できない、出自が新聞とは到底理解しがたい
ただの紙となった。
予期も予感も予兆もないままに
太田さんは日々の絶えなき時間の経過を
小さなミッションのように粛々と新聞を溶かし漉く。
そしてその日は来た。
その日は日本にとって、世界にとって特別な意味を持つ日になったのだ。
「重要な日もあれば、穏やかな日もあった。
3.11はドロドロと新聞を溶かした時、津波に飲まれたガレキを
思い出さずにはいられなかった」(京都新聞 美術欄より抜粋)



太田さんの作品に1995年1月から毎日植物の種を採取して和紙に封じ込めて切手の形にした
「Seed Project」シリーズがある。
考えてみれば四季がはっきりしている日本(最近危なっかしい感じ)だからこそ、
それぞれに適合した季節に添って、それぞれが芽吹き、完成までの
長い道のりを我々に示してくれる。
それは採取する行為にもれなく伴う、その日のさまざまな出来事を
一緒に封印する。
なんてロマンチックなんだろう。

種切手 種切手2

また日々の天気図を切手シートにした作品「 Weather Map Stamps 」がある。
刻々と変化する気象状況をまるで記念切手のように表してしまう発想は
“流れ行く時間”と“そこに立ち現れる出来事”が
“記憶装置”のなかでうごめいている様(勿論忘れることもしばしばあるはずだ)
静かに小さなシートに閉じ込めたようで
じっと見ていると妙に不思議な感慨深い感情がわきあがってくる。
この作品は旧作なのだが、こうして今展示されると
震災というまるで“悪夢の句読点”が
「海に囲まれた島国をあらためて意識する」(太田さん)ことに
つながってくる、悲しいが…。

天気図切手

震災切手
↑阪神淡路大震災当日の天気図切手



日々の繋がりが一ヶ月となり、一年となる。
なのにそうならなかった人々、もはや住むことすら叶わない土地が
心も土も荒れ放題にされて、とりおかれたままの姿を晒す…
太田さんの作品を見ていると、そんなことが心をよぎるのに
でも作品はどれも温もりに満ちている。
悲しみに満ちた記憶は
やがて緩くおだやかにシフトしていくのだろうか。
そうすることで、前に進まなければならないという意志を
確かめようとするのか。

今、この時点で日本の原発は全て停止している。
「 Weather Map Stamps 」の中の日本。
あるサイトによれば、日本の国土は世界の0.25%。
そして世界の原発の12.5%が日本にある。
さらに震度6以上の地震の2割は日本で起こる。
これは単位面積あたりで考えれば、
このリスクはとんでもないことになる。
この切手の小さな島国は
これから先、どこへ行こうとしているのか。

次回は「瑞雲庵」での展示についてです。
お楽しみに!

58カ国語に翻訳
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などなどシッタカぶって書きちらかしては
自己嫌悪な日々をゆらゆらと
過ごしております。
「シッタカブリアンの午睡」
「デラシネ光合成」をこのたび一本化。
言いたがり、やりたがり、ノリたがりな
のんのんとしたブログにお越しいただき
ありがとうございます。

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ここから、また…
最近の書き散らかし…
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