榊原太朗 個展 | GRAND MASTER CHALLENGE
Category : 現代美術シッタカぶり

2021.02.24~03.07
【 ギャラリー三条祇園 】
各作品についての
詳細なテキストを読みながら観る。
僕ごときが
能書き垂れるまでもない
明解な紐解き。
京都精華大学マンガ学部の
カートゥーンコース特任講師である
作家ならではのキャプションの仕様は
ありがちな9ポイント以下ではなく
老眼世代にも実に見やすく
親切。
読みながらどうぞ。
作家 オフィシャルサイト↓
http://www.tarosakakibara.com











わたしが魚だったころ | 品川美香
Category : 現代美術シッタカぶり

2021.03.04, 03.05(13:00~18:00)
03.06, 03.07(10:00~18:00)※要予約
【 庵町家ステイ「三坊西洞院町町家」】
離れの数寄屋つくり。
入った瞬間、目に入る作品と
置かれた空間、まさに「間」との
バランスが見事で。
これは展示空間を綿密に考慮し
シミュレーションを重ねながら
掛かる作品のサイズを
決定したとのこと。
なるほどと、ひとりごち。
ファインダー越しに視る作品の
フレームの収まり具合が実に絶妙で
このせいなのか
と、つくづく感服。
思えば品川さんの作品は
町家で見る機会が多かった。
「ここでしかできない展示をしたかった」と
仰るだけあって今までで一番
しっくりと。
品川さんと言えば
赤毛のショートボブ。
彼女たちをじっと見ていると
ふとアル・クーパーが結成した
BS&Tの
「子供は人類の父である」という
アルバムタイトルが浮かんでくる。
その奇妙で的をついたフレーズが
画面宇宙の中で
その作風の特色でもある
両義性や二重性と相まって
帰路の脳内で
ずっと離れないで響いている。
作家 Instagram↓
https://www.instagram.com/mika_shinagawa/?hl=ja





遡上する幻惑 | 川﨑麻祐子 個展
Category : 現代美術シッタカぶり

2021.02.27~03.07
【 ギャラリー・ヘプタゴン 】
川﨑さんの作風の変遷も
見て取れる展示。
2014年頃の作品を
知らない僕にとって
”その” 断面の
ディテールの転化や投影に至る
様々なマッチングといった
作家の欲求は直感的で若さを感じる。
水族館ではしゃぐ
子ども時代の川﨑さんの感覚が
こうして作品として
成就されていることに
長く深い伏線、そして
言わずもがなの執着を。
鮭の切り身の鮮やかさや
艶やかさに驚嘆する人は
そう多くは無い
が
作家というものの
生来の食いつきは
常人をもって理解しがたい部分
つまり
「至極当たり前からの抽出」と
それゆえにオリジンな
自らの所在を旨とする
極めて真っ当な美的意識であり
全てはここに発露する
強烈な核であろう
と。
そこに僕らは
懇懇と気づかされるわけである。
冒頭でいう
過去作よりも
その本質、うーん、むしろ
なぜ
そこに惹かれるかという根拠の
証左を
よりシンプルに
さらに引き算な作風として
確立している
近年の作品も一堂に。
とはいえ
片意地張るでもなく
いつも平常心で
彫る、のせる、摺るを
所作しながら
つくり続けることは
並大抵ではないな
と。
ギャラリーサイト↓
https://www.heptagonworks.com












三宅章介 | 切妻屋根の痕跡のための類型学
Category : 現代美術シッタカぶり

2021.02.23~03.07
【 京都写真美術館 ギャラリー・ジャパネスク 】
思えば三宅さんとの出会いが
どういった経緯だったのか
具体的にあまり覚えていない。
ただ印象深いのは
同じ嗜好であることを確認しつつ
内密なシンパシーを感じたこと。
そこに
ジェラシーが無かったといえば
嘘になるが
何せ相手は大学の先生。
専門家である。
展開はあくまで思慮深い。
ここにあるキーワード
「類型学=タイポロジー」が
僕と同じような対象を狙っていても
そこに専門性を忍ばせている
ある種のズルさ、なのであるね笑
ここに「視る=観る」ことができるのは
あくまで、束の間の痕跡で
こうして構築すること、芯のある
歯ごたえある展示は
僕には
まずできないなぁ、と。
三宅さんの
見立て結果としてのクールさは
僕の中では微塵も無い。
私ごとであるが
確か2016年だか17年に
Lumen galleryとGallery Mainの企画の
公募展で「疎を挟む」という
100点のL判プリント作品を展示して以来
ずっと、三宅さんと
同じネタを撮り続けている。
僕のはかなりバタ臭い写真で
スナップに近い。
写真から察知しようとされる
磨かれたアンテナをお持ちの方々が
この写真を見て感じることは
言わずもがなであるが
地方都市の歪みが
そのままエアポケットのようになった
この空白が同時に
家族親戚縁者の成り行きであるところの
相続にも後継にも
何よりもそのものの「道行=みちゆき」の
成れの果てであることを思うと
詩的な癖を入れ込んでしまう僕の
メランコリックな感情は
気が付いたら僅かに残ってる厄介な
もしかしたら、プラモデルの
「バリ」のようなものかもしれないな
と。
作家サイト↓
http://www.akiyoshi.jp/exhibition.html







