死ぬ気で生きた巨大な女神、逝く。石岡瑛子さま。

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瑛子

僕がグラフィクデザイン(そしてデザイナー)というものを意識し、
その道に進もうと決意したきっかけは小学生高学年で出会った
横尾忠則氏であった。
とにかく吸い寄せられるようにその世界へ導かれた。
強烈な出会いだった。
今思えば、アッパーで、かつアンダーグラウンドな作風は
職人としての手仕事ゆえの説得力に満ちていて、
切っても切り離すことのできない印刷への深い造詣と共に
プロとはこうあるべきであるという一つの示唆を
未熟者の僕に知らしめた。

時をほぼ同じくしてオープンした池袋PARCO(PARCO一号店)は
小学生5年から越境で京浜東北線で通っていた僕にとっては
決して遠い感覚にはなかった。
生まれた東京を離れて(東京が嫌でたまらなかった)
やがて20歳を越えた僕が、尽きぬデザインへの道を
ただ憧憬の片隅に追いやっていた頃、
その先鋭的な、媚びないビジュアルを放つ
PARCOの広告に目をみはるようになっていく。
いわば商品力の訴求というよりも
社会と女性との新しい関係性を企業の広告戦略に持ち込んだ
画期的なビジュアルは当時の僕にとっては
グラフィックデザインの影響力や単純にその生業を
“カッコいい”と思わせるに充分なミーハー的欲求を満たしてくれたのである。
イラストレーターの山口はるみやコピーライター(当時この響きは素敵だった)の
小池一子、そしてアートディレクター(デザイナーと呼ばないこの“肩書き”にも憧れた)の
石岡瑛子の名を知ることとなる。
個人消費・ジェンダー・時代性をひとつの太くて逞しい女性像として浮き出しながら
次々と時代そのものに挑戦していったひと。
その石岡さんが亡くなった。
1936年生まれの横尾さんとは2歳しか違わない。

ちょうど一年ほど前、演劇の稽古の日々の中で見たNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で
「死ぬ気でやる」とつぶやくように“吠えて”いた石岡さんを見て
当時の自分は今までに死ぬ気で何かやったことなどあるだろうか、と自らに問うたことを思い出す。
そんなひとは実際はそんなに居ないのだとひとりごちて、
やっぱり自分は卑怯な人間なのかも知れないと思ってみたり…

1. 誰にもまねできない
2. 革命的
3. 時代を越える


石岡さんの三か条。
この言葉はあらゆる分野で牽引してきた大先輩に共通している
怒濤の時代を生き抜いてきたとんでもなく強い意志の表れそのものであり
今となってはアナクロにさえも聞こえるこれらも
燃えるクリエイターが抱くべき普遍なのである。
デザインに特化して言えば次の言葉などまさに五臓六腑にしみわたるぞ。

「デザイナーは、情報の奴隷になってはならない。
あくまでも自己の創造力を開発するための有効な引き金にすぎない」

「大切なのは、語り手の内部に在る”血”をデザインし、
“汗”をデザインし、“涙”をデザインすることではないだろうか」

「デザイナーとして1番大切なことはDISCIPLINE(訓練・鍛錬)である」
(ディシプリン…か。クリムゾンのアルバムにありましたな…)




あなたは正真正銘世界の才能だった。
ご冥福をお祈りいたします。


瑛子顔

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1971年。高校2年生が出会った衝撃。

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福岡の米軍ハウスに住んでいた頃、
仲間たちとヒッチハイクで広島でのロックフェスへ行った。
ロングヘアーの一団を見た地元の若いもんにからかわれたっけ。
「浴衣のキミぃは~、見に行くんか?」

あの日は福岡のサンハウスが前座。
メインアクトはフラワートラヴェリンバンド。
1970年にデビューしたバンドは
あの内田裕也がつくったバンド。

40年前のあの日、この音楽にぶっ飛んだ記憶が
昨日のジョー山中さんの死でよみがえる。

若い頃からいろいろな形で影響を受けた人たちが
昨今次々に亡くなっていく…


彼岸でもガンガンやってくれよ…ジョーさん…

合掌




芳雄と南。

Category : 追悼…
原田芳雄さんが逝った。
これはもう色んな人に言ってることで
耳タコだろうが何だろうが
僕にとっては藤田敏八の「赤い鳥逃げた?」である。

原田芳雄、桃井かおり、大門正明…
桃井かおりに一発でやられたなぁ。
当時21歳か…

そして安田南の歌…
今でもこの歌を聴くとシーンが甦る。
洋画はともかく、
僕たちが邦画によって目覚めさせられたもの、
発露や発端が70年代の邦画には地雷のようにそこここに埋められていた。
現在の体たらくは悲しいほどに…悲しい。

僕は松田優作へとは続かなかったが
原田芳雄の持つ体臭は
明らかに僕たちを触発してきた。
あの骨太さの中の骨髄をまき散らすが如く。

そして安田南。
ジャズシンガーという枠にははまらない
自由な歌人。

手元に一冊の本がある。
「みなみの30歳宣言」
懐かしいなぁ。もう34年前になるんだ…。
あの頃はわけもなしに晶文社ばっかり読んでたなぁ。

その南の映画での挿入歌が好きで……
改めてYouTubeっていうのは便利なもんだ、と。






母。

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「会わせてあげたい人があったら呼んでください」と
主治医に言われてから5、6日は経過しただろうか。
呼吸のテンポは不規則で、時折けいれんも見られる。
肥大化した心臓がなんとか動いている。
まるでゼンマイ仕掛けで息をしているような動き。
午後9時48分に逝った。
会話らしい会話ができなくなってから
それほど経過したわけでもないが
結果的にアルツハイマーが影響した。

僕は今回を含めて過去に三回喪主をしている。
育ての母、育ての父、そして明日の告別式の生みの母。
結局三人ともに、愛情を分けてはくれなかった。
預かった愛情は加齢と共に金利が付いて
それが人を、また他人との関係を豊かにするものだ、と
勝手に思っているが、
僕のようにさっぱり母性も父性のかけらも手にしていないと
両替して人に還元する手立ても持ち合わせていないから
薄情などと言われることもある。

90歳の彼女の人生は豊かだったのだろうか。
僕を産んだことが彼女のデメリットだったことは
過去何度あったのだろう。
なぜ再婚せずに“済んだ”のだろう。
若い頃の僕は正直誰が母親でも良かった気がする。
もちろん父親も。
少ない愛情というものに免疫性を持つと
その辺のところはさっぱりと割り切れるものだ。

ベッドの脇で、あの機械仕掛けのような連続した短い息継ぎ。
まるで「まだ死なせてくれないのよ」と言ってるような…。
僕はかたわらでじっと見ている。
もうすぐ終る。
僕の中でももうすぐ何かが終るのだ。
思い出の希薄な母との関係はこうして終るのだ。

女学生の母

▲女学生だった頃の母

配慮と良心と。

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震災のほんの数日前、あるクライアントから
企業広告の提案を依頼される。
従来のテイストを踏んで、
まぁはっきり言えば媒体を選ばずに汎用性のある
広告を作って欲しいということ。
僕自身は過去にいくつか作ってきたので
その時はいつものノリで帰ってからゆっくりと考えようと…

そして大震災…

提出近くになってクライアントにメール。
情けない話だが、肝心のヘッドコピーが全く浮かんで来ない…
浮かんで来ないというよりも
広告そのもののあり方や目的、機能まで
思いを巡らせる始末。
要は希望に満ちた未来を切り拓く…というような…
そんなフレーズが出て来ない。
こんな事態に陥ったのはいわゆる“難しい仕事”とは違って
初めてのこと。
おかげで納期を延ばしてもらうも
昨日送ったデザインは自分でもなんだかなぁ…だった。

阪神淡路大震災の時に、結局のところデザイナーとして
何かをしようとしか考えていなかった自分が居た。
当然のように月日は経ち、僕自身は何もできなかった。
今回の依頼でそんなことを思い出す。
このことは今でも後悔している。

正直この業界、全く先が見えない。
広告にできること、なんて言うと
著名なデザイナー諸氏がチャリティーでポスター制作とか何とか
言いそうだが、やはり“その程度”のこと。
今まで時には片棒担ぎのように広告を作ってきた人間から見ると、
この仕事の無力さ、そして自分の小ささが思い知らされる。

アメリカの「ブルームバーグ・ビジネスウイーク」誌の
3月21日号の表紙は「ひび割れた日の丸」のデザイン。
在NY総領事館が「不適切」と抗議。

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▲確かに苦痛の表情にも見える…

アートは作意と解釈のギャップがどうであれ、
落差があればあるほどに「問題作」として
それなりの存在価値を世に問い、作品に見いだすことはできるが、
何よりデザインは目的や機能が明確だ。

このように“シンボル”(こういう表現をするとまた文句を言う人も居るが)に
「負のカスタマイズ」とも呼べる加工をほどこすことには
アメリカは元来長けている国ではないだろうかと思う。
いわゆる「比喩的表現」、いや「揶揄的」か。
元々悪気も無いし、そうも感じられない。
ただ国旗を“いじる”ということの是非から話が始まると
日の丸そのもののあり方から史実にからみ、イデオロギーにまで話が突き進む、
とんでもない方向に行きそうな気配もあるので、
そうではなく表現の一環としての“処理”には僕などは理解する。
視覚から受ける速度がマッハ的だからだ。
しかし、そう、「配慮」である。
マスに乗った時の効果や衝撃や暗示なんてものは
デザインにとっては当たり前の技にしか過ぎない。
このデザインを発注し、検討し、決定した人間がいる限りは…。

これを見て、日本領事館が抗議にあたって
「日本自体が壊れた、ないし今回の危機で日本国民が
引き裂かれたことを表しているようにもみえる」と指摘し、
「大多数の日本国民を落胆させるものだ」という文言に
同感する人もそうでない人も当然居る。
その抗議の“根拠”はどこから、誰から、いつ発せられたものなのか。
つまり国民の総意、ということか。
何年か後の同誌の表紙に、その後の復興を数値的なデータから
デザインをグラフィカルに置換させて、
ほぼ日の丸は修復された、という方法だってあるはずである。
つまり傷ひとつない日の丸、いやちょっとの傷があった方が
せめてもの良心を反映させるかも知れない。

余談になるが、太平洋戦争当時、アメリカ兵は日本の国旗のことを
「ミートボール」と呼んでいたそうである。


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