い か ほ ど の な に が し。

Category : ロートル介護職員誕生
さてヘルパー集中講座も前半修了。
6日も一緒に居ると人間なんとなく仲良くなるもんなんですね。
まぁ、何となく…ですが。
資格を取得するためにやってきた20代から60代の24人は、
すでに進路が決まっていたり、
まだ迷っていたり、漠然としていたり……
それぞれに向かう温度も微妙に違っていたりする。
耳から入ってどこへ落とすのか。
講義や講座の類いにはとんとご無沙汰しているので、
堪え性が無くなって、こういった座学の捕まえ方、落とし方がヘタだ。
結局テキストを読み直すしかない。
11日間の通学学習で一体“いかほどの何がし”を得ることができるのか、
実習授業となると、もう万歳したくなる…。
なにせスピードが早く、置いてけぼりにされそうになる。
でも救われるのは、自分のためにというよりも
ここに居るみんなのために、という感じで
実習などは互いに声かけしあいながら
確認しながら進めていく。
この感じは中々にいいんです、年齢とか越えてますから。
そう、アタマでは段取りはわかっているのに、
いざみんなの前で実演(っていうのか?)すると
真っ白になる。(のは誰でも一緒だった!)

来週からパート2なウイーク。
模擬実習なんて講師に怒られそうだな、
「何勉強してきたの!」ハハハ…

以前の仕事場でのテクニカルな部分は
ここでは全く通用しないことがわかる。
全て忘れなきゃ…
それと車椅子ひとつとっても、もっとなんとかならなかったものかと思う。
あれでは職員に腰を悪くしなさいと言っているようなもの。
ここで“始末する”と後々苦労することを痛感した。

ここで学ぶことは介護の「やり方」よりも、介護者の「心がけ」。
何せ相手さんのADLは現場へ行ってみなくちゃわからない。
現場のやり方、施設ごとのローカルルールもあるでしょう。
もっとも「自立支援」の基本をしっかり押さえるというのが
実は大変難しかったりするのだが。
講師が言うところの「魔の手」。
健側(けんそく)につい介護者の手を伸ばしてしまう、かばってしまう。
助けようという意識よりも、できることはできるだけ自身でしてもらうという
自立支援の意識は、これまたアタマでわかっていても…
つい手が出てしまうのである。
「介護福祉士の実技テストだったら一発でアウトだからね!」
なるほど…二人の試験官は片時も目を離さず…うぅ。

仕事から離れて早12日。
プーなジージだ。
朝歩きと体操でカラダは徐々に戻りつつあるが
体重は中々減らない。なんせメシも酒も旨いんだから…

施設実習の頃は花見頃。
スカッとした気分で花見酒をやりたいもんだわ、いや、ホンマ…

おっと、それよりキチンと就職せねば!

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介護職人でいいですか?

Category : ロートル介護職員誕生
この半年(厳密には7ヶ月)は僕にとって或る指針が見えた貴重な
そう、今までになく大切な、とても濃密な日々だった。
ここでの就労は残すところ7日間となった。
今日から相談員とこれまた50代の男性が新しい戦力(っていうのも変か)になる。
僕は今日は休みだったので、彼らにとっての初日がどうであったかは居る由もない。
「なぜ辞めるの?」と訊かれて新しく入る人に
正直に真っ向から理由を言えるほど図太くないので
今のところはどうも歯切れが悪い釈明になるが、
ほぼ同期で一緒に苦労した4人がこれですべて居なくなる。
このおよそ異常とも異様とも言える状況を
僕たちの開き直りではなく、当事者たる経営者がどれほど認識しているかは定かでない。
何がしんどいと言って、これほどのことはない。
介護ビジネスを起こすのはわけもないだろう(誤解を恐れずに、乱暴に言えば、の話し)。
しかし介護する側をフォローするテンションを保ち続けるシステムを
構築していくのは並大抵のことではない。
どちらにも当分に配っていかねばならない
限りなくベターな環境づくりが求められる。

「介護の理念と社会的役割」などと表されたテキストをパラパラとめくりながら
ヘルパーの添削課題をしていると、この厚い本に書かれた壮大な建て前の前に
尻すごんでしまう自分も居るが、とにかくちゃんと読んで
自分なりにファイリングしておこうとなどと思う
実に殊勝な自分に出会ったりもする。(オレって存外マジメなんだ…)
資格そのものの内容が大きく変わろうとしている今、
2級を取得してどうのこうのと言うわけではないが
ここからしか始まらない現実があるから、前に進むしかない。

そして、「現場」はどこまでいっても「現場」だ。
それはある時は壮絶であり、可笑しくもあり、悲しくもあり、
どうにもならない切なさを伴うものだったりする。
介護を語る時、する側とされる側にもうひとつ、
切っても切れないのは、その家族のあり方である。
家族にとってのシェルターでもあるという事実を覆い隠すことはできない。
こんなことは訪問看護を経験されている方なら当たり前のことだが、
それは当人にも僕らにも過酷で冷たい現実を突きつける。
送迎に向かう。
玄関に立てば奥から嫁と姑(介護される本人)との壮絶なやりとりが聞こえる。
毎朝のことであるが、笑って「朝の恒例行事」などとはもはや呼べないほどに
嫁の疲弊した顔と、或る時に見せる涙。
「もう限界なんです…私も家族も…」

聾唖の利用者さんに向かう。
朝の服薬を忘れ、奥さん(この方も聾唖者)がご主人に湯呑みと錠剤を渡す。
たった何粒かのクスリがうまく飲めない。
湯呑みに落ちた錠剤を箸でつまみながら、
じっと相方の顔を見る奥さんは、首を降りながら、
涙をぬぐう。
そんなにまでなってしまったご主人に対して…。

進んだ症状は罵声と暴力を伴って僕たちと対峙することもある。
ありのままのその人にとっての現実を受けとめ、
温かい気持ちで接することが大切…と
テキストには書かれている。
当然だろう。
しかし、先ほどもラジオのニュースは施設での虐待を報じる。
これは昨今続けざまに起こった事件ではなく、
日常的にどこかで誰かがやっている行為なのである。
信じられないことだが、介護する側が病んでいるという
ぞっとする事象は、同時に介護ビジネスのもろさを露呈している。
看るのも、看られるのも人間であればこそできることと、
だからこそ限りない危険がそこに孕まれているというリスクは
精神的にどれほど“耐えられるか”という個人の強度を
試されているようにも思える。
爪をはがしたり、骨折させたり、そこまでいかなくとも
つねったり、叩いたりは、人として「絶対にしてはならない」モラルであるという
子供でもわかる理屈を簡単に凌駕して、
相手が“むきだし”であれば、こちらも“むきだす”という
単純な反応、感情を具体化したものとなる。
悲し過ぎるな…これは。

どんな仕事にも要領やごまかしの一つや二つはある。
これを言い換えるのならば「効率的な」という理由付けによって
ほとんど正当化され、それもできて初めて一人前であるという定義も成立する。
しかし僕たちが手を取り、話し、起こし、一緒に笑う相手は
まぎれもない人間である。
長いスパンでもはや考えられないが、瞬きのような感情の揺れや
熱い思いは持っている人たちである。
そんな人と生活を共にする家族のストレスは
他のどんなものとも違うと言われる。
義理や、あるいは、なさぬ仲や、義務や宿命的なものを
全身で受けとめる家族たちにとっては
愛しているのに愛せない場面、状況が多々あることだろうと思う。

思えば全く縁のなかった世界へ飛び込んで
なんとか“できている”今はまだごまかしても
なんとかなる時点に居るにしか過ぎない。
次は多分そうはいくまい。
覚悟してかからねばならないと思う。

はらはらと泣くひと。

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その人はマンションの玄関を出た瞬間、
手を顔を覆いながら、まるで少女のように
ああ、昔こんな感じで泣くシーンをどこかで見たような気がする、
そんな風に泣いた。
送り出す娘さんはわずかに突き放すように母の背中に言葉を投げかける。
「いってらっしゃい…母をよろしく…」
きれいな白髪を後ろで一本にくくった文学少女のような
上品な面差しと老いを感じさせないシルエットの73歳のその人は
エレベーターホールの前でもう一度、つぶやくように言う。
「私は行きたくないの…」

その人にとって初めてのデイサービス。
エレベーターの中でポロポロとこぼれる涙をぬぐおうともせず、
「あのマンションは私が一生懸命働いて買ったものなの。
なのになぜ娘はそこから追い出すの?…」

来所して間もなくバイタルを計ると
案の定、脈拍は108。
フロアに居る9人の利用者の中に決して入ろうとはしない。
「ここに居ると胸が苦しくなって、顔がほてってきて…私、もう帰りたい…」
初日の彼女を決してひとりにしないように、と管理者。
しばらく僕が話し相手になる。
朝方、送り出した娘は次女。
彼女は次女夫婦とその中学生の子供と4人で暮らしている。
この構成は片時も崩れたことがないという。
彼女の長女は長男と結婚し、次女は母と同居することを条件に結婚。
結果的には実にバランスのよい人間関係に見える。
そこには勿論彼女の人徳の成せるところも大きかったのだろう。
寡黙だがしっかり者の婿。
若い時に苦労をさせた次女。
かわいい中学生の孫。

かつて旦那の浮気が発覚。
それが原因で離婚し、女手ひとつで育て上げた二人の娘に対しては
いつもすまない気持ちがあったという。
思春期のまっただ中での両親の離婚。
思う高校に行けなくなって落胆する本人と
かさむ学費に頭を悩ませた母。
そんな経緯を目に涙を浮かべながら訥々と話す彼女は、
しかしキリッとした表情で
「私は一生懸命生きてきたんです…それだけは誰にも負けない」

デイに来ることを家族から見放されたと感じ取る利用者が居る。
一方ではもっとここに居たい、息子(あるいは娘)夫婦の元には
帰りたくない、と打ち明ける人も居る。

「この家族のおかげで寂しいと思ったことは今まで一度もない」と彼女は言う。
「でもね、私は主から脇に転じたわ。人にものを言う時に
自分の立場をその都度、考えながら言うの。それがとても辛い」とも。
婿の里に親子3人で出かけた時などは、家の中に穴があいたようで
一人で居ることに救いようの無い寂しさを感じると言う。
それはこちらが思う1泊や2泊の話ではなく、驚くことに日帰りプラン。
何時間かの話なのだが、一人で居ることに免疫の無い彼女にとっては
とてつもない孤独感にさいなまれる。
かといって、いつまでもこの状態で生活できるとは限らない。
同居の場合の老いとは子供の人生の枠組みから一定の時間外されること、
と考えても差し支えない。気分の問題は別として…。
互いの生活の尺度、わけても認知症という残酷な宿命に
むやみに逆らわずにゆっくりと流れにまかせて生きる、
デイはそんな風に考えた次女の選択だったのかも知れない。
自分が築きあげてきたもの、それは強い意志の表れであり、
幸福な結果と解釈しようではないか。
残る人生、どう抗おうが齢は重なり、相応に枯れていくのだ。

フロアでの昼食後の9人は、
今まさに消化のために胃袋に向かう血液に身をまかせて
思い思いにソファで眠りこけている。
「ここでは皆さん、あんな感じですよ。気を楽にして過ごされてはどうですか」
すると毅然として彼女は言う。
「あれほどの悟りは私にはまだないわ。まだやるべきことが山ほどあるの」
一週間に一度の利用であれば来週もおそらくはリセットされる、か
この来所がトラウマになって彼女の中に永遠に刷り込まれるかは知る由もない。

ただ結果的に次女の選択が間違ってなかったことを
僕たちは願うだけである。
それには別な次元で母である彼女に強くなってもらわねばならない。
彼女にとって新しい社会であることは確かなのだから。

かつて、もっと濃密に家族の一員だった人。

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デイ利用に盆正月は関係ない。
よくよく考えてみれば当然のこと。
そして介護度が上がれば上がるほど利用度もアップする。
暮れから新年にかけて親類縁者が出入りし、
その家の主婦にとってはゆっくり休む間もないこの頃、
認知も進み、また体力的にも弱っている高齢者は
否が応でも“手の掛かる家族”としての立場に立たされる。
中には大晦日からデイにお泊りでここで元日の昼食を済ませてから
家族が迎えに来る?という珍妙に思えるケースもある。
確かにこの利用者さんは送迎からして大変。
やっと説得して車に乗り込んでもらう。
さて次の利用者さん宅へ向かうべく走らせていると
段々とテンションが上がったご本人、
大声で罵倒する、シートベルトを外して
立ち上がり後ろから首をつかむ、
バンバン窓を叩いて
「どこへ連れていくんや !ここで降ろせ! 降ろさんかい!」と叫ぶ。
最初に経験した時はどうなることかと思ったものだ。
さて、クスリが効いてきたのか30分後のデイのソファの上では
こちらが気抜けするほどの別人になる。
恐るべし薬効…
ちなみにこの方、85歳の女性。
その不穏さは到底家族の手に負える類いのものではないことは確かだ。
また、ご本人が2泊3日の利用の間に
旅行へ出向くといった家族も居る。
ポストのカギで玄関を閉めてまた戻して欲しいとのこと。
彼女は一人でデイの迎えを待っている。
実際には玄関でこれから出て行くところの家族と会ったということだが
当然ご本人は息子夫婦から何も聞かされていない。
また利用している他のデイが年末年始(世間並みに)連休をとるために
ここを利用するという人も居る。

利用者さんの9割は認知症。
ここに到着するまでの利用者さんの心象は僕にも定かではない。
リピートされる「戸惑いと不安」。
自分自身の“良くない変化”に明らかに動揺し、
そんな自分を情けないと責め、心の中で音のない嘆息をもらす。
この4ヶ月で明らかに進行しているとわかる人のなんと多いことよ。
僕の母もそうだったが階段からエスカレーターになって
やがてエレベーターの様相を呈する。
楽天的な人も居るが、押し並べて恒常的に曇天模様な感覚の中で
生活しているというのが現実だろう。
耳が遠くなり、腰が曲がり、言葉が聞き取りにくくなり、
反応速度が低下する自分自身をしっかり受けとめ、認めることは
想像通り「哀しみ」や「切なさ」と自身の中で
共存していかなければならないということ。
僕などは、そう遠くない将来にそんな無念な折り合いの付け方を
していけるだろうか、などと思う。
うちの場合、1年ほどで利用者さんは順次入れ替わるという。
その行き先は施設や病院。
極端な言い方を許していただけるのなら、
この事実は「畳の上で最期を迎えられること」がいかに稀なことであるかという現実を
改めて私達に突きつける。

ブラック・スノーマン

Category : ロートル介護職員誕生
12月から晴れて正社員となった。
この仕事に就いて痛感することがある。
計画書や事後報告書などの申請書類が多いこと。
とにかく場当たり的にこなす性格ゆえ、
数週間前から計画する余裕も心構えもないときている。
しかしここでは通用しない、というよりも「会社」では通用しないのだと
ボス(管理者)からしっかり釘をさされる。
フリーのデザイナー歴20年の僕にとって
同じ時刻の同じ電車に同じ乗客と乗り合わす日々を通じて
宮仕えになるという実感を噛みしめている。

さて19日から25日まではデイサービスでのクリスマスイベント週間。
デイサービスでできる範囲内のものなのでもちろん予算も限られている。
部屋の飾り、プレゼント、演し物、ゲーム、デコレーション…
それぞれのスタッフが協力してこの一週間をこなす。 
のべ30人余りの利用者さんに
自分で作ったクリスマスリースを持って帰ってもらおうと
折り紙でリースの輪郭を作る作業にかかったが
どうにもうまくいかない。
簡単な折り方にもかかわらず何度も訊く利用者さんたち…
即決で予定変更。
計画は計画。
やってみなければわからないことの方が多いのだ。
厚紙でリースの輪郭を切り抜き、好きな色の折り紙を貼ってもらう。
この方法が功を奏したようで皆さん真剣に作ってくださった。
このデイは9割方、認知症。
できることとできないことの見極めはとても難しい。
お話の流れに集中できる時間も極めて短く、
紙芝居などは3枚目をめくるころにはにはもう全く感心を示していない。

クリスマスの塗り絵をみんなに渡す。
色鉛筆で塗る作業も、手がしびれて長い時間は無理な人がいる中、
Uさんは顔をテーブルにつけんばかりに近づけて
それはもう脇目もふらずに熱心に塗る。

そして完成。

そこには黒く塗られた雪だるまがあった。
スタッフ、絶句…
(彼女に何があったのか…と思いたくなる)
昨日は夜9時から朝8時までの夜勤。
二人のお泊りさんの内、Uさんが居ない。
聞けば15日に入院したとのこと…
血栓ができて足もぱんぱんに張っていた。
1ヶ月の入院予定だが…大丈夫だろうか。

来年元気な顔が見られることを祈って…。

ツリー

↑みんなに渡すクリスマスカード。昔とった篠塚、じゃない杵柄。今年は喪中だから賀状は無し。そのかわり、かな。


58カ国語に翻訳
English
お越しいただきありがとうございます

den

………………………………………
アート・ドキュメント・ブック・
ミュージック・演劇・ダンス・
朗読・時事・ひがみ・そねみ・
やっかみ・おせっかい…
などなどシッタカぶって書きちらかしては
自己嫌悪な日々をゆらゆらと
過ごしております。
「シッタカブリアンの午睡」
「デラシネ光合成」をこのたび一本化。
言いたがり、やりたがり、ノリたがりな
のんのんとしたブログにお越しいただき
ありがとうございます。
………………………………………

ここから、また…
最近の書き散らかし…
こんなこと書いてます
こちらへもどうぞ!