あらゆる形に姿を変える“万能”のお言葉…「FUCK」

Category : ドキュメントDVD
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監督:スティーブ・アンダーソン

文字としての初出は1475年。
ある修道院での修道士たちを風刺する詩に出てくるという。
ロバート・バーンズやロチェスター卿の詩にも頻繁に出てくるこの言葉は
16世紀後半には“立派”に辞書にのるようになる。
チャタレー夫人やユリシーズはこの言葉の使用により発禁になる。

“ファック・ユー”って落書きがあった。書いた奴を殺したくなったね。
サリンジャー作「ライ・イン・ザ・キャッチャー」(1945年)

アメリカには1934年に設立された、国会の管轄下で通信事業を規制する
FCC(連邦通信委員会)という組織がある。
夕方6時から10時までの俗悪番組の放映は連邦法に反するという。
あちらでは何より「子供に対しての影響」を第一優先に考え、
厳しいタガを嵌めて番組制作をし、監視しているようだ。
やはり多民族国家として共通のルールを守るための
ハードルは上げざるえないからなのだろうか。

ガチンコで発する言葉ほど恐ろしいものはない。
周囲のあたふたもさることながら、その人の評価そのものにまで
影響しかねない結果を招く。

しかし、誰でもが聖人君子であるわけもない。
“言って”しまった4レター・ワーズに、どのような処罰を与えるか
このFCCという組織で1963年から2005年まで委員長を務めたのが
あの元国務長官コリン・パウエルの息子のマイケル・パウエル。
どうもパフォーマーたちには嫌われ者のようで、
あるラジオ番組に出演した際にもDJのハワード・スターンに
さんざんコキおろされていた。

誰かがこの言葉を放送メディアで
“無遠慮”に“無神経”に“無作法”に発する時、FCCの出番となる。
2003年のゴールデン・グローブ賞受賞の際の
ボノの「最高に(ファッキング)にうれしいよ!」のフレーズに
「はて?」と首をひねる。
これは“あってはならない表現”としての言葉か否か…。
彼らはこれは名詞ではなく形容詞だと解釈し、問題にはしなかった。
が結局、そうは思わない人たちからの抗議によって見直しがはかられた。
日本に該当する言葉が無いだけに
この独特の感覚はなんとも言いようがない。
第一、名詞か形容詞かというところで議論していること自体がおかしい。
ボノははっきりと確信をもって「この言葉」を発したはずだ。

僕はダスティン・ホフマン演じた「レニー・ブルース」が
彼の作品の中でも強烈な“毒”を放つものとして印象的に残っている。
ステージ上ではよく「この言葉」を聴衆たちに(彼の中では世間に)浴びせていた。
レニーは計9回の逮捕歴があり、わいせつ罪でも2度有罪となっている。
そのこともあって、結果的に彼は「言論の自由と闘う殉教者」となった。

「この言葉」は第二次世界大戦以降、さらにその“万能”ぶりに拍車がかかる。
それは戦地での彼らの憤りや苛立ち、他者への攻撃性といった感情表現の
ひとつとして、事あるごとに口から機関銃のように発射されるからだ。
パットン将軍もノルマンディー上陸前夜、自らを鼓舞するかのごとく言う。
「ガンガン(ファッキング)容赦なくドイツ野郎を殺すぞ!」

その後「この言葉」は、性解放や女性差別、あらゆるカウンター・カルチャーの
重要なキーワードとなってデモのシュプレヒコールにレギュラーの座を得る。

英語史上“最高に強力な”この言葉の出自をめぐっては
さまざまな識者の、さまざまな視点からの論議が絶えない。
人種や宗教やそれを含めてのイデオロギーを
大股で飛び越えていく「この言葉」は
口にした時の表情や年齢や状況を踏まえて、実に的確に上手に使われる。
自由で、爽快で、活き活きとして、それにアブナい「この言葉」は
スタれるとか飽きられるとかの次元も軽々と超えて
言葉の“裏宇宙”に君臨する魔王のようだ。

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