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死者の未来を託す“用”を成さぬ造形…「 小坂 大毅 展 “ Proto ” 」

Category : 現代美術シッタカぶり
1月25日→1月30日【 ART SPACE NIJI 】

CIMG4724.jpg

↑一番奥の作品は見事に割れています。

中国では古代より人間の魂は永遠であり、
亡くなった後も現実世界としっかり繋がっているという
輪廻転生をモットーとする日本人から見ると妙に生臭い死後観がある。
中国人の死後観が顕著に表れる例として
香港の葬儀の様子はしばしば紹介される。
あの紙製の供物のこと。
火葬の際に一緒に燃やすものだが、
その極彩色のキットはお札、マンション、家、車、飛行機やらで
最近では携帯電話やパソコンまであるという。
決定的に日本と違うのは逝った人にあの世で金持ちになって欲しいという感覚、
いや価値観と言ってもよい。

副葬品と言えば「俑」(よう)、特に兵馬俑などは有名だが
なんと新石器時代からこのような副葬品が作られていたという。
これを明器(めいき)と呼び、先の兵馬俑のような
人、動物、建物、飲食器などをかたどった
陶製、木製、青銅製で作られた。

CIMG4727.jpg

CIMG4731.jpg

↑互いが映り込んで面白い眺め

小坂

↑作品のフォルムをDMから紹介

小坂さんはこの副葬品をテーマに制作する。
一緒に供えることにしか意味性を求めない造形。
器物として何ら機能しない、いや機能うんぬんよりも
より深い意義をそこに込めていると言ってもよいと思う。
焼物の逸品に沢庵をのせて日常使いにする人は滅多にいない。
いつしか焼物は“景色”としてその芸術性をいかんなく発揮する。
陶芸は当初は生活器のために編み出された手段なのに
思えばその地位は限りなく上昇し、
ケースに納まった鑑賞物として鎮座まします、
高価なオブジェになりつつある。
しかし、それもこれも熟練の技と作家の器量あっての
当然な、そして尊大な付加価値の賜物だ。
意味性の剥奪という共通項が明器と現代の器物を
時代を越えて通じ合うという解釈は面白い。
単純な発想だがどちらにもそれなりの意味があり、
それこそが現代美術として陶芸を捉えるうえで
出(い)ずる着想ではないかと思う。

壺のような、瓶(かめ)のようなそのフォルムは
表面の表情と相まって本金を施した口、
内部に塗られた鮮やかな朱色が象徴的に中国をイメージさせる。
整然と配置されたそれらの中央に草を食む馬がいる。
これは兵馬俑のシンボルとして置かれたもの。
艶やかな表面に互いが映り込み、腰をかがめて見ると
また面白いシチュエーションが現れる。

一番奥に配置されたものは派手に欠けている。
これは搬入時に落として割れたもので、
その時もし、居合わせたならさぞ居心地が悪かったに違いない状況を
想像させる痕跡は不思議と何もない。
むしろ割れたことで得た効果を喜ぶべきだろう。
このことで整然としたレイアウトにドラマが生まれたと考えよう。
それも現代美術を観る愉しさではないか。


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