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分け隔てるものに心を凝らす…「 塚田 裕介 展 ~ 3つの切断 」

Category : 現代美術シッタカぶり
1月24日→1月29日【 アートスペース虹 】



その昔、カフェバー全盛の折りに通っていた店のマスターの弁。
「カウンターを挟んだこっちとあっちは全然違うぞ、入ってみるか」
しばらくして会社勤めの合間のアルバイトとしてのオファーを受け、
“見える境界”の向こう側、つまり店側に立ってみると
なるほど仰せの通り。
実に気持ちのよいもので、遠くの会話も不思議とよく聞こえる。
これなどは「立場を仕切る壁」として日常的でわかりやすい。
もっとも壁が見えない不埒な酔客も居るには居るが。

背丈にも満たないパーテーションが空間を或る秩序のもとで区切られるのを
オフィスや塾で窓ごしに見ることがある。
一枚の板きれでいとも簡単に準プライベート空間を創出できるというのは
なわばり意識が希薄でありながら、かといって完全な個室にしてしまうことへの
コストと管理する側にとっての一種の処方とも知恵ともとれる。

ギャラリースペースをベニヤ板が真半分に割っている。
よって入り口は自動的に二つとなる。
この光景の面白さ(見慣れた広さや高さを再認識する)は
境界を意識させる方法としては至って真っ当だ。
舞台裏とも言うべき構造が丸出しになった裏側と
(この決してベタにならない支えの構造はそれ自体を楽しめる仕掛けになっている)
ギャラリーの壁同様に白く塗られた表側は互いを行き来することで
その認識があまり意味を成さないことに気付く。
というのも一見表側ととれる壁に正方形に切り取られた部分が平行移動されて
展示されているからである。
裏側とおぼしき壁にもカットされた白い正方形が貼られている。
作者の言う3つの切断とは
1. 部屋を大きく区切る壁
2. 壁に開けられた正方形の2つの穴
のことではないか。
そこに穴があり、覗くという行為が必然のように伴うことで
この一見何も成さない“間抜けな”空間はそのまま境界となるのだ。
これらは限られた空間の使い方に頭を悩ませる
舞台美術の理屈にも似てはいまいか。
ホワイトキューブはとても順応性が高く汎用性に富んだ空間であり、
作品の力が何物にも影響を受けない分だけむき出しになる
残酷な場所でもある。
洋画というのは空気に描くことはできないのだから
やはりどこまで行っても壁あっての産物であり、その洋画コース出身でありながら
こうした装置で作品発表をするあたりが僕には興味深かった。
作家の言う、バックミラーに映る夕焼けに、
繋がっているはずの空が切り取られた感覚などはセンチメンタルでさえある。
境界には排除や隔離というネガティブなキーワードも伴う。
これまた作家の言う「見え過ぎる世界」が引き起こす災いや誤解は
本当に必要な情報だけを選択することで寸止めにすることはできると信じる。
が煩悩にまみれた野次馬たちは(多分僕も含めて)
なかなか耳を貸そうとはしないものだ。
「見る」という行為が “見えない壁” から「見られる」ことを
大げさではなく一つの警鐘として受けとめなければならないな、などと
エラく大マジメにお持ち帰りしながら考えたりした。

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