久々に卓球をしました/ Touch & Stroke 明楽 和記 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2012. 9月25日→ 9月30日【 KUNST / ARZT 】

忽然と、拍子抜けするほどに、そこに在る白い卓球台。
白いラケット。
そして床に散らばる幾色ものボール。

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卓球台と現代美術。

さてさて…。

例えば鑑賞者の正直な反応。
1. たぶん卓球台が作品だと判断する。
2. 卓球台で何かが起こると期待する。
3. 現代美術との接点を探ろうと、とりあえず努力してみる。
4. どんな人が発表したのか興味を持つ。
5. やっぱり現代美術ってわからない…

ギャラリーという存在があるという事実に全く興味を示さない人が居ても
浮世に当然何ら支障を来さないし、誰が困るという話しでもない。
ただ、シッタカの周りにそんな人が居て、
一度行ってみたらいいと勧めるケースはその人のキャパシティを
勝手にシッタカが推し量っているだけのことで、
推し量られたその方にとっては迷惑な話かも知れないが、
とにかくタダなんだから少しの時間を提供できれば、
何らかの刺激になるよ、と言うことにしている。
現代美術とは、語る(論理的にという意味で)ものではなく体験するもの。
シッタカ自身はそう思う。
やる方も見る方もこれだけ面白がれるジャンルはそうそうあるものでもない。

美術教育を受けた人達がみんな絵を見たままに
上手に描くことを命題にしているわけではなく(それこそつまらない)
かといって描けないよりは描けた方が断然良い、というものでもなく、
じゃあ、そこには鍛錬がないじゃないか、
演劇だってダンスだって音楽だって全てそれぞれにハードルを設けて
スキルを磨くために鋭意努力しているんだから。
それには確かに一理ある。
しかし現代美術家にとって大切なのは「捉える」と「表す」こと、
その「見立て方」ではなかろうかと相変わらずシッタカぶるのだ。
これらが互いに協調し、平行し、反発し合う摩擦熱、そのものが
現代美術の醍醐味だとずっと思っている。
もちろん技術的な礎があればこそ、作品はより磨かれるし、
美しくもなる。
しかし美しいけれど、感じないものもある。
優れて興味深い“捉え方”が勝る場合だってあるのだ。
シッタカには美的感覚が欠如しているのか、
この捉え方が何よりも大きなポイントになったりする(笑笑)

明楽(あきら)さんは何を捉えたか。
それはコーディネーターである横井悠さんのコメントにあるように
「表出と消失」である。
絵筆を装置として見なし、そのオートマティックな
作為とはほど遠い痕跡をキャンバスに表出してみせる。
この見立て方に人は興味を抱き、共感し、そして面白がるわけであり、
検証としての論理的考察は却って水を差す。
先の卓球台は額面通り、卓球をするために
ギャラリーのサイズに合うものを作家が調達し、色を施し、
この29日には達者なセミプロを読んで
ここで卓球を行うという「作品」である。
「ストローク」というテーマに沿った至極“素直”なアプローチである。
ストロークとは筆遣いの痕跡であり、
いわば作品を楽曲に例えればリズムとアタックだ。
鑑賞者は白いラケットを持ち、絵具に相当するボールを互いに打ち返しながら
白い卓球台の上でできるだけのラリーをしようと試みる。
これは身体感覚は、作品を理解しようとする感覚を完全に説き伏せる。
叶いっこ無いラリーにいつしか夢中になり、
明らかにカラーボールを目で追い、いずれ痕跡になるであろうラインを
読みながら想定の範囲内で打ち返す。

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↑犬画伯と作品たち。ちなみに犬は同じメーカーのもの。微妙にどれも動きが違う。


明楽さんの作品に、電池で歩く犬のオモチャの足に
絵具を塗って、白いキャンバスの上を歩き回らせるというものがある。
意図とは無関係な痕跡。
決して同じ轍は踏まない犬たち。
鑑賞者はこの「絵」と呼んで差し支えないのかどうかわからない、
「自動」が編み出した痕跡を、その原因を以て初めて理解し、
すでに想像の中で犬たちの動きを描いている。
動体そのものの特徴をクローズアップしながら見事に、というか
ちゃっかり自分のものにしてしまっている。

もしかしたら現代美術が嫌われるのは、
実は作品を深読みしないと作家の地点まで辿り着けないという状況を
作家自らが作り、悦に入り、自負する傾向があることではないか、などと思う。
要は近寄り難い方が現代美術は値打ちがあると、
作家も鑑賞者もいつのまにか思わされている節が無いと言い切れるか…

よく言う「目のつけどころ」が意外であればあるほど
(意外が一周すると結構マトモだったりもする。それも面白い)
人間とは、世界とは、かくも不可思議なるものよ、と実感するわけだ。
問題は、こんなことに着想する人間が居ることに
もっと“単純に反応する”感覚を日常的に身につけられたら
生活は俄然楽しくなるということである。

なんだか今回は変なブログになってしまった…か。
いやそんなことはないぞ…



↑自動のシャボン玉製造機。これだけオートマチックながら同じシャボン玉は決してできない。つまり様々な条件がその結果を左右するファクターになっている。



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