「幸せな時間」

Category : ドキュメントDVD
幸せな時間


監督:横山善太
撮影:武井彩乃

この映画に寄せられたコメントでひと際印象に残る、
「老いは人間に例外はつくってくれない」という
評論家の故・三宅久之氏の言葉ほど普遍的な示唆はない。
そしてこの、何の外連味(けれんみ)もないタイトルは
カメラを携えて自分のじいちゃん、ばあちゃんの日常を“撮ってみた”孫の女性の
気持ちそのままを表したものなのだろう。
僕はよく生きていくということを森に例えて考えることがある。
私たちは目隠しをしながら手探りで深い森を歩き続ける旅人であり、
旅は予見できない出来事をはらみ、一つひとつ、あるいは踏み越えて、
また或る時はやり過ごし、時にはすり抜けることもそれぞれに必要とされる。
しかし確実に正確に無情にも、人は老いるのだ。

孫である女性は自分の祖父祖母を特別な視点で撮ることをしない。
ここにあるのはあなたの祖父祖母である。
ドキュメントフィルムは、撮る側が移入する部分と全くしない(させない)部分との
危ういバランスで成り立っていると思うが、
この作品に於いては、もとより撮影者にはそんな意図すらないように思える。
一つ確実なのは対象者が自分の身内であることぐらいだ。
例えば祖母祖父を撮ろうとする時に、
定石として二人の歴史を紐解きながら、
時系列に“講釈”していくという方法などとっていない。
名前と言えばおばあちゃんが呼ぶ時ぐらいなもの。
つまり観客は情報を得ない。
気が抜けるほどに楚々としている。
だからこそ、このドキュメントは妥当な評価をされているのだと思う。

結婚50年になる老夫婦の日々は実に緩慢であり、
もしかしたら「幸せ」の可視化とはこれなんではないかと思う程に
「人生のお休み時間」をお二人ともゆったり過ごされている。
毎月一度二人で行く温泉旅行。
無邪気と無遠慮なささやかで、中々叶う人は珍しい日課ならぬ月課ではある。
が……

やはり鬱蒼とした深い森の中をスムーズに歩けるほどには人生は優しくできていない。
祖母の認知症と祖父の癌は同じ駅を出発し、
しばらく平行した後にそれぞれの“行き先”を穏やかに目指す。
カメラスタジオでのツーショット。
娘である母が「手でも握って」と互いの手を重ねると
やがて祖母は両手で我が夫の手を握りながらじっと顔を見つめる。
頓着しない祖父はカメラの方ばかり見ている。
撮ろうとして撮れないところがドキュメントの妙味。
こういうワンシーンだけでもう語るべきところを語っている。
だからドキュメントは難しいのだろう。
撮り貯めしていた二人の日常の中で、
次第に状況が変化(良くない、喜ばしくない状況ではあるが)し、
撮影者や介護に努める看護士である撮影者の母との関係が
猛然と俄然として立ち上がる。
今までの二人だけの世界から、一挙に“同様に助けられる立場”へと変化していくのである。
しかし、相変わらず環境は変化しても
カメラは近すぎ過ぎず、かといって遠くなく、二人のそばに“居る”のだ。

先立った夫の通夜の日、娘である母が「ごめんね、ごめんね」と祖母に謝りながら言う。
しかし、おばあちゃんは気丈な言葉をごく自然に口にする。
妻の覚悟とでも言うのだろうか。
おばあちゃんはこれから「新しい世界」の中で生きていく。
それは靄(もや)のかかったまた別の森かも知れない。
しかしそこは、あえてやり過ごしたり、すり抜けたりする必要のない、
新たなる休息の地なのかも知れない。

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