「生物(いきもの)としての静物」開高 健(集英社)

Category : 100円本雑読乱読
かいこう

モノを持たないことをモットーにしている人。
実に羨ましい限り。
果たして僕はといえば、煩悩にまみれた俗物の一個として
モノが好きで、そのモノとの“まつわり方”が好きな一人である。
しかし、かつてのフリーランス時代、一日のほとんどを過ごした
この仕事部屋をぐるりと眺め回しても、大したモノはここにはない。
天井までのびっしりの本も、最近では古本の数が勝っているし、
無印の棚にこれまたびっしりのジャンクも
どこへ持っていっても売れそうにもないものばかり。
目の前のNew Miniのミニカーたちも
実車を手放してからは懐かしいばかりで見る度に小さくため息。

さて、著者である開高 健の、モノへの愛すべき執着心とは、
そのモノとの濃密な時間の共有に他ならない。
仮にここがストンと抜け落ちていたらただの“マニア”でしかない。
金にあかせてせっせと買いそろえる、アレである。

序章ともいうべきタバコについてのエッセイの締めくくりを
そっくりそのままご紹介しよう。
「この一本の煙りからおびただしいものがたちあらわれる。
8月15日の明るい静寂や、闇市の叫喚や、飢えの冷たい悪寒、
毎日毎日の彷徨、血液銀行の行列、そして亜熱帯の朝のタマリンドの並木道、
銃声、歩道いちめんに散ったガラスと血、夜明けの市場での銃殺、
アフリカの雨、ハゲワシの巨大な石灰質のくちばし、
餓死瞬前の黒い子供のマッチのような手と足、
ゴースト・タウンにひびく若い娼婦の溌剌とした声、
また、暗いジャングルや、M16銃の連射音なども…
煙が目にしみる。というわけだ。」

どうですか、この“おびただしいもの”、この魑魅魍魎たる事象の数々。
煙の向こうに見えるこの光景を開高はさらっと書きなさる。

本書の冒頭の一文、
「長い旅を続けて来た。
時間と空間と、生と死の諸相の中を。
そしてそこにはいつも、
物言わぬ小さな同行者があった。」

これほどに心身に密着した同行者と呼べるモノを
僕たちはどれほど知っているか、また持っているか、そして持ってきたか…
ここに上がったモノたちは、さほど今の人たちには縁があるとは思えない。
ことにタバコに関してはなおさらである。
タバコも我が身がこれほど忌み嫌われる対象となることを予測できなかったに違いない。
くゆらす煙の中につかの間の句読点を求め、
「暗闇の中で吸うタバコほどまずいものはない」という開高の価値観は
今となってはもはや遠い彼方に葬り去られた、しかし男の憧憬とも言えるものである。
なんだかタバコのことばかり書いているが、
本書はパイプ、オイルライター、ナイフ、ジーンズ、レザーのベルト、
モンブラン万年筆、蚊取り線香、帽子、懐中時計、ビーフ・ジャーキー、
正露丸、グラス(!)、釣り師のバッグなどについて
僕などから見れば究極の、そして自然体のエピキュリアンであった開高の
無邪気な執着の有様が、そのまたかけがえのない事実(背景)をおかずに
延々と語られる。
何よりも本書を魅力的なものに仕立て上げたのが
滝野晴夫の挿画であろう。
暗闇から立ち上ってくる妖気さえ、対象となるモノたちから漂う。
なんと贅沢な組み合わせだろう。

ウイスキーを傾けながら読める本というのはそれほどない。
本書はまさにそんな夜の友が欲しくなるエッセイだ。
登場するどのモノにも興味がないという人にこそ読んでほしい。
苦くて、まろやかで、痛みの伴うモノたちとの旅は
引き出しから棚からあるいは箱から氏の手の飢えにお出ましになって、
再び鈍い光を放つのだ。
そんなモノとのつきあいができるのは
オタクでもマニアでもない。
女性が見たら引きそうな光景かもしれないが
そんなモノたちにグラスを傾けながら語りかけるオトナが居たって
いいじゃないか、と思うこの頃である。

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