「 C.T.T. Selection in KYOTO vol.109 上演会」

Category : パフォーマンス見聞
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2014.4.28〜4.29 【 アトリエ劇研 】
出演:前田愛美「シオガマ」
   突き抜け隊「Twilight Zone」
   中凹分離帯「家族会議事録」

お芝居に共感するってどういうことでしょうか。
それは役者の演技になのか、演技する役者になのか、
役者が演じてみせるストーリーになのか、
あるいは役者を舞台上の装置として見た場合の効果についてなのか、
門外漢の僕には何とも言えませんが、
最大公約数的な共感の場を作り出すために芝居があるのではなく、
おそらくは体験し得ないことやもの、
出会うはずのない人たちを目撃することで、
ささやかではあるものの、瑣末で尚かつ普遍的な導きをそこに見いだし、
生きることを問うてみせる場として
芝居は存在するのではないのだろうか、などとシッタカぶったりします。

「突き抜け隊」の話はどれも結構ベタです。
つまりベタであることは得てして、彼らのテーマである
「生きていれば起こりうる嫌なこと」ということです。
創造的で活力があって熱意を込めて生きている人の話よりも
問題解決に向けて奔走し、
挙げ句四面楚歌になる人の話の方が断然面白いのです。
好きでドツボにハマったわけではない、いや
彼らが導いた宿命かも知れないタイミング、
疑心暗鬼、狡猾で小忙(ぜわ)しい行動の数々、
そのどれもがいじらしく健気に映ります。
彼らの武器である構成力を
「その話に入り込もうとする前に削がれる」というような感想もあったが、
僕はもっともっと観客を翻弄してほしいと願います。
そのさじ加減の難しさはともかく、構成もお話も面白く、
二兎を得たいと語る無謀さを大切にしたいと感じるのです。

温度や表現方法が違う「家族的なるもの」をテーマにした他の二つの作品は
勿論「試演」ということで手探りな状態であることはわかっていますが、
やはり「思いの丈」を伝えることはことの他、難しいんだということを
痛感した作品でした。
それは先の「最大公約数的共感」の最も低温な層が
お話の底辺に常に流れているような環境を作るのには
装置そのものが奇異であったことに起因するような気がしたからです。
もっとはっきりと申せば
センチメンタルとエキセントリックは
長持ちしないということです。
或る演出家の言う「観客は演者の数歩前を察する」ということなのでしょうか。

「突き抜け隊」が信じてやまない展開、構成の旨味を
これからもっと研ぎすまし、何層にも組み上げた場面や設定や役どころが
大団円になって収束していくというような
(そして話はベタであるというような)芝居が見たいのです。
芝居はいろんな場所や時間や人格が織りなす世界を
行ったり来たりできる機会と考えると、
観客を裏切ったり、欺いたりすることもまた
芝居の魅力であると考えます。


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