「 2020年の東京オリンピックのエンブレムデザインについて 」

Category : 浮世の「うっ!」
過去のエンブレム

2020年の東京オリンピックのエンブレムデザインについて
なんだか騒々しくなってます。
僕もフェイスブック(以下FB)のタイムラインで長文をアップしました。
最初にことわっておきたいのは
盗作であるか否かという「話題」について
個人的には全否定 “したい” 気持ちであること。
佐野研二郎というデザイナーの業績、実績、
そして結果としての受賞歴、また彼の「肩書き」を見て
盗作したと考える方に無理があります。
近似と盗作が、まるで罪人のごとく報道されるという
絶対的な根拠は無いはずです。
では、なぜこの騒動が持ち上がったのか。

2020年オリンピック・パラリンピック競技大会の開催都市が
東京に決定したことをうけ、
公益財団法人日本デザイン振興会、
公益社団法人日本グラフィックデザイナー協会、
公益社団法人日本インダストリアルデザイナー協会、
公益社団法人日本サインデザイン協会、日本デザイン学会の
5機関が中心となり
「東京デザイン2020フォーラム」を設置された、とあります。
つまりこれだけの協会、学会のメンバーのお偉方が
結果的にこのデザインにGOを出したということであり、
小さな会社でも何でも商標登録しようと思ったら
それなりの機関に依頼して徹底的に調べるでしょう。
人が考えることであれば、
全く同じデザインが無いとは限りませんから。
僕がFBにて長文をアップしたのは
当然ですが僕の個人的な意見です。
ですからこれも当然ながら反対の考えを持つ方もいます。
FBでは、ああやはり、という
ネット、ワイドショーを飛び交うガセネタについて
はっきりと否定されているタイムラインがあります。
おそらくはガセであろうことは想像がつきます。
でも、ご本人がメディアに出てこない時間が
長引けば長引くほど「観衆」はネガティブな感情に支配され、
やがて勝手に断罪してしまう恐ろしさが秘められています。
(今日、仕事が終ってネットニュースで、
海外に出張に出ていたため、だったらしいですが、
それでもタイミング的には向こうから何らかのメッセージを
おくるべきだったんではないか、できたのではないか、と
思ってしまいます。)


僕がFBで言いたかったのは盗作云々という話ではなく
繰り返しになりますが「何も感じなかった」ということです。
このエンブレムについては当然、公募なんですが
その公募は大会組織委員会が
「デザインコンテストで複数の受賞歴のある個人」を
対象に募集したものです。
これはデザインを絞り込む作業をぐっと円滑にしたものだと
勝手にシッタカぶってみます。
つまり最初からハードルを上げて
ハイレベルなデザインを選定しようと考えたのでしょう。
その結果がこのデザインであるということに
何らかの不可思議な力を感じてしまうのは
あまりに軽卒な見方でしょうか。
そうそうたる顔ぶれも居た中の104分の1のデザイン。
では落選したデザインはどうだったんでしょうか?
それは知る由もないものなんでしょうか。
いや、知る“必要”がないものなんでしょうか。

この件については、実は相当量のコメントを
ブログにアップしようとしていたのですが、
作者の「盗作さはない」とのコメントが出されて
ストップしました。
もっと詳しいコメントが出てくるのかと待っていたのです。

僕と全く同じ意見の人がいて、ああやはりなぁ、と。
使用中止の訴えを起こしているリエージュ劇場のロゴにあって
佐野さんのデザインにないもの。
それは「カタチの根拠」です。
ロゴというのは「こう作られたのだ」という
想定や分析のもので評価されるべきものではないと
個人的には考えています。
直感的であらねばなりません。
説明を受けて「なるほど」ろ思わせるのは
その前にカタチとして優れているという条件つきです。
リエージュの縦棒の右側のセリフ(文字のハネ)には
Lであるという説明「なし」に理解できる明解さがあります。
TとLの組み合わせ、と誰が見てもわかるシンプルさ。
では佐野さんの方はどうか。
右のセリフは円の一部ということ「らしい」ですが
これが必要な理由が見当たりません。
FBのタイムラインでもどなたかが
分析してましたが、全くのナンセンス。
このパーツ(と言ってしまいます)には
デザインを構成させる要素としての説得力が全くありません。
確かにこの円弧は佐野さんが「心臓の鼓動」と表現している
まるっきり日の丸の中央を突っ切ってしまいます。
デザインに於ける整合性が見当たりません。

1964年の亀倉さんのポスターには思い出があります。
10歳ですから小学校4年生ですか、
このデザインが好きで(もちろん亀倉雄策の名前は知っていましたし
この頃から将来はグラフィックデザイナーになろうという意志を持っていました)
壁にオリンピックのシリーズポスターを貼って悦に入っていました。
考えてみれば国旗を「デザイン」の要素、エレメントとして
捉えた最初の作品ではなかったか。
シンボル、ではなくてあくまでエレメントととして、です。

先の「リテラ」というサイトにアップされた記事にあるように
このデザインの呪縛、そして亀倉雄策氏へのリスペクト、
加えて永井一正氏が選考委員長であるということから察するに
そこにこそ、問題があったと言わざるを得ません。
ナショナリズムへの向かい方や表現のされ方、
愛国心という日本人にとって極めてファジーな感情への
統制された脅迫的な文言。
ヘイトスピーチに代表されるような排他的な訴求、など
現実的には暗澹とするような事象が渦巻いています。
その上で国旗の要素を再び「無理矢理」取り入れ
(しかも佐野氏の「心臓うんぬん説明には相当な無理があります)
ヘンテコで安っぽいデザインにして“しまった”佐野氏と
選んだ人たちの「予定調和」なシナリオに正直うんざりしています。

これをもって「デザイナー、建築家を殺すな」といった
書き込みも見受けられますが、
共に制作については責任が伴うのは当たり前で、
「どう作品に意志が反映され、どういう受けとられ方を想定しているか」という
クリエイターとしての当たり前の責任は果たされるべきと考えます。
「これを盗作というのなら、今後は抽象的なロゴは作れなくなる」などと
馬鹿げた意見をいう人も居ます。
デザインの制約、それはあくまでクライアントが決めることです。
もし馬鹿げたロゴであればクライアントが馬鹿であるというだけのことです。
そんなロゴは何万とあります。
しかしこれはもっと公共性の高いものです。
極論を言えば小学生(小学生には失礼を承知で)にもわかるデザインが
求められるのではないでしょうか。

2020年のオリンピックの件は
国立競技場といい、官僚の更迭といい、このデザインといい、
さほど関心のなかった人々(専門的知識の無い人たちも含めて)
どん底まで引きずり落ちたという感が否めません。
共通するのはどれも「説得力に欠けた」ということです。
そして致命的なのはくだけて言えば「ケチ」がついたということです。
永遠のケチ、が。






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