他者との無言の関わりの中で…「Stranger 横溝 静」

Category : 現代美術シッタカぶり
横溝

3月7日→5月10日【サントリーミュージアム】
「インシデンタル・アフェアー うつろいゆく日常性の美学」より

ほぼ正方形のプリントに写された、あなたを凝視する人物。
そのどれもが、自宅の窓辺である。
1998年から2001年にかけての「Stranger」シリーズ。
全く身も知らぬ“或る人”に手紙を送る。

“或る夜”の(そう、あくまで被写体側が明るくなければならない)横溝氏が指定した
“或る”時間に“或る人”に自宅の窓辺に立ってもらう。時間は10分ほど。
できれば動かないでほしいが、10分は長い。
リラックスしてくれれば、多少のアクションはOK。

これが“或る人”に送る手紙の内容である。
拒否したければ作者にメールなりして、その旨を伝える。
(作者は自らの個人情報としての住所、メルアドなどをすでに知らせている)
作者は「或る一度のきっかけ」を諦める。
しかし、ふと面白いと感じるのは、この申し出にNOと意思表示することで
すでに“関係性”が成立していることだ。
他者との関係とは一体なんだろう。
今、すれ違った他人が、何秒後かに他人ではすまされなくなる関係というものもある。

しかし、この撮影する側と撮られる側との間に何ら、親密さは無い。
しがらみも、因縁も、無い。
要請された内容に応じて、窓際に立ち、合図もなく“撮られる”のである。
レンズに向かって、あるいはそうでなくても撮られるタイミングを
知ることなく、やがてプリントされ、作品として完成するに至る。
彼らの表情が実に面白い。
疑っているような、不安な目。いぶかしがる態度。
アーティストと被写体の間に唯一あるのは
あなたの写真が作品として成立しますよ、という“見えない信頼”しかない。
もちろん個展で発表することも了承済みである。

写真作家はそれぞれの方法論で、被写体と対峙する。
その向き合い方をどう伝えるか、どう捉えるかが全てである。
露光がどうとか、アングルがどうとか、トリミングがどうとか言う以前の
確固たる“両者の関係性”についての考察と結果である。
テクニカルな上達は経験を重ねるしかあるまい。

このプロジェクトは、ロンドン、ストッ クホルム、ベルリン、パリ、ニューヨーク、広島、
各地で2年間に渡って行われた。
深読みを許していただければ、
ここには、被写体の個体差としての反応ぶりは勿論のこと
他者に対してのお国柄、独自性、イデオロギーも反映されているのかも知れない。



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