「 若原 響子 個展 〜 日々のあれこれ 」

Category : 現代美術シッタカぶり
2012年の個展では、
ほぼ同形のコーヒーカップのバリエーション展開で
いわゆる「変態パズル」のような仕掛けで
僕たちをクスッと笑わせてくれた若原さんですが、
今回は急須のラインナップが中々に秀逸で
やはり来場者の頬は緩んでいました。
カップでも急須でもなんでもそうですが
食器と呼ばれるものは、欠けたら使い物にならないので
そうなった「暁」には
大事に人にいただいたり、
手に取る度に意味深なエピソードが
脳裏をかすめるといった
自分にとっての歴史上レア感が希薄なものでない限り、
いつかは廃棄します。
忌まわしいものであったら最初から捨てます、か(笑)
つまり「オブジェ」となるわけですね。
ところが若原さんの茶器は穴はおろか、
「使えない」という
とても魅力的なキーワードを秘めています。
が、これは陶芸という実にやっかいで面倒な
段取りを踏んでこその一種の若原的表現なわけで
いかに観念で(アタマのスケッチで)描いていても
一向に形にはお目にかからない。
さて、これをどう使うのか、と考えるか、
ジッと眺めるかは観客の自由ですが
問題は、この茶器で遊びのシミュレーションを
脳内でしているうちに
なんと、欲しくなってしまうという
巧みな誘導力が秘められているんですね。
だって、こんな茶器は“売って”ないですから。
僕はこのヘンテコな器を見ていると
ひとつの詩や散文が浮かんできます。
それは諧謔とか揶揄的であるというよりも
一種の「いじらしさ」であると思うんですね。
いろんなタイプの人間になぞらえてみたくなるんです。
見かけは普通なのに文字通り「蓋」をあけてみると
かなりややこしい人であったり、
あらゆる事象について常に斜に構えていたり、
賛同という心性からはほど遠い天の邪鬼であったり、
最初から全否定で生きている人(のようにふるまったり)
いつも気にかけて欲しいという気持ちが
やがて自らの姿態を変えてしまったひと(そんなのはないですな)
だったりと…
シニカルであるよりも、生きていく上での「切なさ」を
ヒタヒタと感じてしまうワタシは
一体どんなものなんでしょう…

P9090001.jpg

P9090004.jpg

P9090005.jpg

P9090007.jpg

P9090006.jpg

P9090008.jpg

P9090009.jpg

P9090010.jpg

P9090013.jpg

P9090014.jpg





スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

58カ国語に翻訳
English
お越しいただきありがとうございます

den

………………………………………
アート・ドキュメント・ブック・
ミュージック・演劇・ダンス・
朗読・時事・ひがみ・そねみ・
やっかみ・おせっかい…
などなどシッタカぶって書きちらかしては
自己嫌悪な日々をゆらゆらと
過ごしております。
「シッタカブリアンの午睡」
「デラシネ光合成」をこのたび一本化。
言いたがり、やりたがり、ノリたがりな
のんのんとしたブログにお越しいただき
ありがとうございます。
………………………………………

ここから、また…
最近の書き散らかし…
こんなこと書いてます
こちらへもどうぞ!