「 チクチク、痛いの 〜 藤川 怜子 」

Category : 現代美術シッタカぶり
2015.10.06〜10.18【 gallery PARC 】

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作家たるもの生身の人間ですから、
当然いろんなことが身にふりかかるわけです。
美術家の皆さんは、どちらというと、
こと災厄に対しての表現手法に誠に長けていて、
それが得も言われぬ共感を呼び起こすんですね。
藤川さんのステートメントにある
「火葬場で父の遺骨を拾った時の感覚」や
「失恋した時」の個人的な感覚というのは、
やはりどこかの部分で(勝手なものですが)
他者が追体験を欲するという共有原理みたいなものが働いて、
それが増幅されたり変容されたりしながら再現されていくわけです。
藤川さんもご多分にもれず「表現することとは何か」という
極めてシンプルかつ奥深い奈落的テーマに
否が応でも身を委ねるはめになります。
そうすると肉体の反応は正直なもので
どこかに “何かが” 現れるんです。
当然痛みを伴いながら。
いや単なる痛みに閉口するというよりも、
そのネガティブな伏線のような生身の声に暗澹とするんです。
しかし美術家はそこで終らない。
やがて生来の観察欲がむくむくとアタマをもたげてきて、
仔細に眺めているうちに
感動を覚えるようになります。

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藤川さんにとっての「定番症状」は
口唇ヘルペスやメバチコでした。
(ステートメントで「目蜂子」と書くことを初めて知りました)
この感動的な様相を眺めては描くということを
2、3年続けておられるそうです。
目、唇は鏡を見ながら描かれたもので、
自分のパーツの部分を醜くさせたものは、
まぎれもない自分自身の心の有り様が表面化したものと考えると、
こうして生きている日々というものに
冷静な愛おしさを感じるのではないでしょうか。
よく傷口をいつも触り、つまみ、撫でているのは
そうした肉体にまつわる様々な事象についての
確認行為のひとつだと思います。
かさぶたを触っているうちにとれてしまっていて、
ああ治ったんだ、と思ったのもつかの間、
そこの部分だけ白く丸く、
ゆるりとケロイド状になって未来永劫、
スタンプされたような落胆もまた、
生きている証拠に他なりません。
個人的な自己対話、という言葉が出てきますが、
藤川さんの命題である「主題との向き合い方」
「シンプルに作品と対話する」が
ご自身の理解へと導かれるまで、
この「半ば自虐的」(筆者註)にも見える表現行為は
やめることができない、と一文を締めておられます.
大きな作品は木炭で描かれています。
その「粉っぽさ」もまた痛みのディテールと重なります。

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