UNKNOWN / ASIA View vol.4

Category : 現代美術シッタカぶり
「 横山 亜沙美 」

デジタルでの作成というのを「作者=選者」と捉えると続きは「処理者」となって最後は「出力者」になる、か否かは別として、いずれにせよツールを駆使して、とてもじゃないが、こんなん描けるもんか、あるいは、描くもんか、というような出来映えのものがアップされます。当然相応の時間はかかります。ビギナーであったらたちまち降参です。キャリアに応じてまさにこっち側の処理能力を問われたりもします。さて、横山さんのブースではその時も決して手を止めないご本人が居られまして、ここにかかる作品が決して「出力」されたものでないことを知り、ベタな表現ですが驚愕するわけです。「鮮やかな不穏」とでも言いましょうか。コンセプトである、日常的な疑問、強迫観念をテーマとしてデジタルの要素を取り入れつつペインティング作品の制作(ステートメントより抜粋)をされている横山さんですが、デジタルを一種の「抽象手段」と考えると面白いかな、などと勝手にシッタカぶります。だってどこまで行っても画面の向こうで繰り広げられているバーチャルな世界ですから、それをこっち側(現世)に引き寄せ、手によって「具象化」していくという解釈、どうですか。これによって横山さんの言う「具象と抽象を行き来し(中略)視覚へ訴えかけ、思考の働きを誘い出す表現(ステートメントより)」に繋がると思うのですが…。デジタルで作成したものを手で描くというのは、ある意味「模写」でもあるわけで、細密な手技によって「再現」された作品と読むこともできますね。このプロセスがほぼ制作の重要な部分であると感じます。僕なんかの世代はすぐに「サイケ」なんてカビの生えた語彙がアタマに浮かびます。しかしとにかく細かい!

y1_2015103008481365b.jpg

y2_20151030084815421.jpg

y3_2015103008481625c.jpg

y4_20151030084817e20.jpg

y5_20151030084819027.jpg



「 GOMA 」

5年ほど前ですか、初めての介護の現場だったデイサービスでの同僚(福島で被災し京都で新生活を始めた当時新婚の若者でした)がなんと趣味でディジュリドゥを吹いていて、公園や鴨川でジャンベを教えてもらいながらセッションなんかもしていました。その彼から教えてもらったのがGOMAさんでした。そのアーシーなノリとうねるようなディジュリドゥのグルーヴに一発でマイってしまい、以来よく聴いていました。もうディジュリドゥの世界ではカリスマ的なGOMAさんでしたが2009年に追突事故によって外傷性脳損傷による高次脳機能障害になられ、記憶障害を患い演奏活動をやむなく休止しました。その後にドキュメント映像やテレビ番組でご覧になった方も多いと思います。ここで僕らは人間の神秘さというか不思議さにこういうカタチで出会うわけです。「光を放つ」「光が見える」という会場でのお話(奥様かな?)を聞いて作品のグラデーションがかかったドットの集積を見ているともう、なんというかディジュの音が聴こえてくるんですね。絵を描いたことも習ったこともないGOMAさんからのパッションは全く別次元から「降りて来た」という言い方ができると思います。2011年には音楽活動も苦難の末、再開します。会場では生GOMAさんとも会えました。

GOMAさんのHPは → http://gomaweb.net/

PA180051.jpg
PA180052.jpg
PA180053.jpg





スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

58カ国語に翻訳
English
お越しいただきありがとうございます

den

………………………………………
アート・ドキュメント・ブック・
ミュージック・演劇・ダンス・
朗読・時事・ひがみ・そねみ・
やっかみ・おせっかい…
などなどシッタカぶって書きちらかしては
自己嫌悪な日々をゆらゆらと
過ごしております。
「シッタカブリアンの午睡」
「デラシネ光合成」をこのたび一本化。
言いたがり、やりたがり、ノリたがりな
のんのんとしたブログにお越しいただき
ありがとうございます。
………………………………………

ここから、また…
最近の書き散らかし…
こんなこと書いてます
こちらへもどうぞ!