「 THE JAPANESE TATTOO PAINTING 3 〜 高村 総二郎 展 〜 」
Category : 現代美術シッタカぶり
2015.10.27〜11.08【 Gallery MARONIE gallery 4 】

東京の下町、向島の花柳界に生家があったもので
僕自身は幼少の頃から「くりからもんもん」は見慣れています。
くりからもんもん、とは不動明王の変化身である
「倶利迦羅竜王」の入れ墨のことですが、
そこから転じて、この奇妙な呼び名になったといわれています。
銭湯で良く近所のおっちゃんと
当たり前のように遭遇していました。
時代がまったりとしていて
規制も規範も緩やかだったせいかも知れません。
このモチーフを描き続けている
(もちろんこれだけを描いているわけはないマエストロ高村です)
理由というものも訊くだけヤボな気もしますし、
何よりもこの素材を描くにあたっては
容易に想像できる相当な苦心・苦慮がありますから
(何せ、カタギがその筋の方のものを描こうってくらいですから)
そこは絵を見る上で余計なエピソードでもあり、
社外秘でもあり、ミステリアスなところでもあるわけです。
僕たちは純粋に絵を鑑賞するのです、
とエラそーにシッタカぶります。
これを細密画などとくくるつもりは毛頭ありませんが、
人肌に彫った図柄をさらに模写するという二重行為に見られる
(マエストロから聞いたわけではありませんが)
「入れ墨の芸術性」を語るよりも
単純に「美しい」と思わせる力が、
これらの作品に漂っているということが重要です。
しかしまた、矛盾を承知で言わせてもらえば、
これはまぎれもなくオマージュ&リスペクトな
表現の一貫でもあると、
僕などは勝手に推測します。
いや、むしろ憧憬と呼んでさしつかえないでしょう。
これほどの「覚悟」をもってして、
しかも経年劣化という避けられないリスク、
そればかりか身体的にかなりのリスクを文字通り“背負って”まで
彼らが自身の然るべき存在表明として
入れ墨を彫ることに僕などは意義などございません。
その世界にはその世界の掟というものが厳然とあって、
少なからず世の中はそうやって回っているわけですから。
要らぬ肯定はしませんが、
この筆さばきはもはやマエストロにしか成し得ない、
素晴らしい仕事だと思います。
これは文化的に見ても写実を越えた希有な記録芸術
(もっともマエストロにその意志があるか否かは別としてですが)
と呼んでさしつかえないと思います。
社会的に考察するといった安易な接し方、
対し方を軽々と凌駕する高村画伯の偉業に
大きな拍手をおくりたいと(効果音)思います。
ブラボー!マエストロ!











東京の下町、向島の花柳界に生家があったもので
僕自身は幼少の頃から「くりからもんもん」は見慣れています。
くりからもんもん、とは不動明王の変化身である
「倶利迦羅竜王」の入れ墨のことですが、
そこから転じて、この奇妙な呼び名になったといわれています。
銭湯で良く近所のおっちゃんと
当たり前のように遭遇していました。
時代がまったりとしていて
規制も規範も緩やかだったせいかも知れません。
このモチーフを描き続けている
(もちろんこれだけを描いているわけはないマエストロ高村です)
理由というものも訊くだけヤボな気もしますし、
何よりもこの素材を描くにあたっては
容易に想像できる相当な苦心・苦慮がありますから
(何せ、カタギがその筋の方のものを描こうってくらいですから)
そこは絵を見る上で余計なエピソードでもあり、
社外秘でもあり、ミステリアスなところでもあるわけです。
僕たちは純粋に絵を鑑賞するのです、
とエラそーにシッタカぶります。
これを細密画などとくくるつもりは毛頭ありませんが、
人肌に彫った図柄をさらに模写するという二重行為に見られる
(マエストロから聞いたわけではありませんが)
「入れ墨の芸術性」を語るよりも
単純に「美しい」と思わせる力が、
これらの作品に漂っているということが重要です。
しかしまた、矛盾を承知で言わせてもらえば、
これはまぎれもなくオマージュ&リスペクトな
表現の一貫でもあると、
僕などは勝手に推測します。
いや、むしろ憧憬と呼んでさしつかえないでしょう。
これほどの「覚悟」をもってして、
しかも経年劣化という避けられないリスク、
そればかりか身体的にかなりのリスクを文字通り“背負って”まで
彼らが自身の然るべき存在表明として
入れ墨を彫ることに僕などは意義などございません。
その世界にはその世界の掟というものが厳然とあって、
少なからず世の中はそうやって回っているわけですから。
要らぬ肯定はしませんが、
この筆さばきはもはやマエストロにしか成し得ない、
素晴らしい仕事だと思います。
これは文化的に見ても写実を越えた希有な記録芸術
(もっともマエストロにその意志があるか否かは別としてですが)
と呼んでさしつかえないと思います。
社会的に考察するといった安易な接し方、
対し方を軽々と凌駕する高村画伯の偉業に
大きな拍手をおくりたいと(効果音)思います。
ブラボー!マエストロ!










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