「 野島 革 銅版画展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2015.10.23〜11.08【 京都・アートゾーン神楽岡 】

僕にとって版画とは平たく言えば、
直感的にキャンバスに線や色を置いていく平面作品
(これも作品の数だけ仕事が違うのですが)とはまた異なる、
工程に生じるタイムラグやそのスパンについて
作家自身が朧げながらも
(それは或る意味、写真を版画と解釈する理由として
納得する部分ではあります)
完成形を想像しながらのプロセスそのものが、
それぞれに「仕事」として刻み込まれたものであるという
認識が強いジャンルです。
これが版画に寡黙さを勝手にイメージづけてしまうクセかも知れません。
版画がいかほどに手法に豊かな表現方法であるかは
おそらくは複数枚の作品が作れることと
無関係ではないと素人ながら思います。
それが「製版技術」の多様化に繋がり、
様々な作風を生み出す理由であったことを考えれば、
工程とは言い換えれば「手立て」であり
「段取り」であるわけです。
刷り上がるまでわからないというプロセスを踏むということは、
一般的な絵画や彫刻にある
「構築していきながら完成を目指す」というものとは異なり、
自身の作業そのものが想像する完成形に限りなく近いか、
そうでないかにかかってくると言っても過言ではないと思います。
当然、失敗というリスクを背負いながら
試行錯誤していく平面作品の中でも特異なカテゴリーのひとつでしょう。
銅版画と聞いて連想するものとは全く違った野島さんの作品を見て
とてもショックを受けました。
エッジの効いた線やその「傷」そのものにインクが詰まって
(そうでないものもありますが)反転形としてダイレクトに写しとられる「それ」は
作者の考えた意図との距離感を互いに牽制しあうような
独特な関係性のもので成立するものと認識していた銅版画でしたが、
ここにあるのは作家の考える自然美をいかに蓮に託しながら
版画に反映させていくかという強い命題=決意表明の結果であると思えます。
これを初めて見た一体何人の方が
ひと目見て銅版画とわかるでしょうか。
2階会場に設置された「暗室」という観客への見せ方もその驚きの一環として、
闇の中で徐々に姿を表す版画作品を風景に見立てながら
観客自身の視覚を利用しながら、
作品を通じて人の風景との向き合い方にすら言及していると思いました。
野島さんだけの銅版画がここにあります。
今後とも注目しながら、
この風情を長く心に思い留めようと思いました。

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