「 無限の風景 ~ アントーニオ・ペドレッティ ~ 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2015.10.22~11.08【 GALLERY TOMO 】

毎度のことながら絵という対象について自分の言葉で語るのはとっても難しいです。
では解説を読んでどれほど理解できるかというと、
これまた心もとなく、
結局のところ誰かの言葉を借りているだけではないかと思う事が多々あります。
例えば、その絵を見て僕が視覚対象として捉え頭に届く速度よりも、
絵の方がはるかに先を行っている場合があります。
展示されている絵を見ながらそこから得る情報量があまりに多過ぎて、
前の絵と次に見る絵との間隔に残像があって
一点一点を明解に見ようとする姿勢が萎えてくる、そんな感じです。
これは絵というものに対してとてもヘタレであるとも言えます。
作家であったならまた別な評価もあるでしょうが、
いかんせん絵が描けないんで(笑) 
さて、なんでこんな話を枕にふったかというと、
まさしく絵画が内包している“画面に存在する
見えない作家の発露”とも言うべきものが筆跡となって
グングンと迫ってくるんですね、
そう、アントーニオ・ペドレッティという方の作品です。
会場のモニタでは画家の制作の様子が映し出されていますので、
先の僕なりの「届く速度と描く速度」を存分に体験できました。
もうこの方には頭の中のツールボックスに画材が叩き込まれていて、
こう描こうと思った瞬間
(ホントに瞬間、といった感じで瞬きの間に
もうナイフはカンバスの上を走ったり、跳んだり、撫でたり、
滑り込んだりしています)に新しい要素がどんどん加えられていきます。
しかしこれはスケッチではありません。
彼の中の架空な風景ですが、
それゆえに圧倒的な風景についての情報量が
彼のフォルダに見えないカタチとなって記憶されているのです。
それは誰の目にも普遍的でありながら
彼の奥深くにある原初的な光景にオーバーラップしています。
しかも面白いことにこれを「抽象画」と捉えてもなんら差し支えなく、
むしろそのような観点から作品を眺めてみても、
その魅力に改めて驚かれるかも知れません。
自然=四季の様相をいかにカンバスに落とし込むかというミッションに
取り組んできた日本画とペドレッティの差異がどこにあるのかと言われれば、
やはり対象を具現化する速度について考えざる得ないのです。
僕などはむしろ墨絵の持つそれに近いとさえ思ってしまいました。
あの墨を含んだ筆の運びと、
ペドレッティのペインティングナイフの「さばき」が重なってくるのです。
解説にある「振動をいかに表現するか」ということに尽きるなぁと感じました。

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