「 マックス・パペスキ ~ ヒロシマから愛を込めて 」

Category : 現代美術シッタカぶり
ミッキー

2015.11.18~12.03【 GALLERY TOMO 】

さぁ、パペスキさんの作品をどう紹介したらよいものか、
と考えるのはやめにしました。
それは僕が勝手に考えたらいいことだからです。
なんと無責任な、と仰る人も居るかも知れませんが、
展覧会でも各作品には一切のキャプションもありませんし、
これはそもそも他人(作家としての自分以外の、という意味の)に
どうだい、こういうものを作ったんだけど、
キミならどう思うかい?という問いに始まり、
問いに終るものだと思うのです。
パペスキさんが確信犯的な意図をもって作品づくりを行っていようと
いまいとそれは作品の評価や判断に何ら影響を及ぼすものではないと思います。
ここに描かれたそれぞれのシチュエーションに
不快感しか抱かないというひとが居て当然であり、
それにもパペスキさんは多分反応しないと思うのです。
しかしこの展覧会はそういう人たちにこそ見て欲しいものです。
そこから始まることが最も大切なのです。
だって世界はもっと狂っている事実を日々さらけ出しているではありませんか。
きっと僕がしたためたこの文章と
この展覧会のステートメントとは大きな隔たりがあるかも知れません。
僕は自分が感じたことだけを書こうといつも思っています。
中々うまくはいきませんが。
つまり何が言いたいかというと
嫌悪や不快感が一体どこから来て、
それは心のどこへ収束するのかということです。
例えば原爆のキノコ雲に目をふさぐミッキーとミニーは、
相当な偏向な解釈として、
ミッキーはアメリカ帝国でミニーは日本に嫁に来た文化大使としての外来種と見る。
「原爆を落として世界戦争を終らせた」と考える相当数のアメリカ人と
被爆国である日本(ここで言う日本とは日本国土という意味)の
被爆者への対応の仕方は加害と被害という真逆の立場の中で
合わせ鏡のように重なる部分があるのではないか、
それはアメリカの奢りや自分たちがしてきたことを
正確に伝え切っていない現実と朝鮮人も含めた被爆者への日本政府の対応、
それらを俯瞰してみた時の「犯罪ではない大量殺戮」を
いともたやすく実践する人間の欲望と業と支配する側、
される側、殺す側、殺された側が、結果的に互いの文化というものを
戦争という愚行によって理解する皮肉さを含めて、です。
キノコ雲が或るアイコンとして語られる日本と、
この雲(状)のものが何かわからない人々。
パペスキさんはイタリア人です。
第二次世界大戦でのイタリアの立ち位置を考えてみても、
日独伊という関わりの中で、
それが戦争にどういった作用を及ぼしたかを考察することも
この展覧会から与えられた機会なのかも知れません。
結局どこにでも大なり小なりヒトラーは居る、
ということではないでしょうか。
コラージュされた写真の“向こう側”に想像をたくましくしながらも、
決して作家が何を言おうとしているのか、は「詮索」しない、
そんな鑑賞法もあるのではないかと思いました。
そうすることで世界と自己との間合いを知る、という意味で。

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