「 見えないもの 見えつつあるもの 2 ~ 西村 郁子 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2015.11.24~11.29【 gallery SUZUKI 】

西村さんの「深化=浸化」が新たに提示してくれたものは「自由」でした。
一年前に見た作品の「直線的なしつらえ」から得た解釈から、
今回は「成り行きを見ながら、
その中で身をまかせる、委ねること」の大切さを、
見事に少ない要素で見せてくれました。
石膏の台に乗った大小の器には高台がありませんので、
実質的に器というよりは「器状」の焼き締めた
素焼きのオブジェと呼んだ方がしっくりと来ます。
器と解釈すると「入れる=受ける=盛る」という機能が
真っ先に頭に浮かびますから、
天井から垂らされた絹糸をつたって染料が落ちる様は、
このゆるく円錐状になったオブジェに時を刻み、
その経過が様々な形になって記される「過ぎる時の証拠」とでも
シッタカぶってみます。
会場に入った瞬間にとても明瞭に全体像を把握することができて、
このへんの見せ方に感心しました。
西村さんは大学では洋画を専攻されていますが、
版画やインスタレーションの展示もされます。
西村さんのステートメントにも度々出て来る、
また展覧会のタイトルでもある
「見えている表層と触れられない、その向こうにあるもの」への探り方は、
どの作品にも一貫しています、
そう、ぶれていないんですね。
それが結果として作家の趣意に沿った作品の明瞭さに繋がっているのかな、
などと思っています。

このギャラリーは西村さんの次の展覧会で
32年の幕を閉じます。
西村さんご自身もここでの8回もの個展に
作品の歴史と共に思い入れもおありかと思います。
ギャラリストがしみじみと語っていたのは
「この作品にどれほど救われたか」ということでした。
冒頭で述べた「自由」とは「意識的であろうと無意識であろうと、
何かにとらわれると見えていたものが
見えなくなってしまう」のではないかという
問いかけへの答えでもあります。
何かを選択することは必ず何かを手放すことになり、
つまりはそのことによる
代償のサイズにとらわれるということになりはしないでしょうか。
糸からしたたり落ちる一滴は、
全て外的条件の微妙な変動によってタイミングを変えながら、
しかしあたかもそれが自然で当たり前のように、
他者の思惑に関係なくオブジェに或る痕跡を描いてみせます。
この痕跡こそがこの作品がリアルタイムに描く、
いわばライブペインティングのようなものなのです。
これが現在です。
この現在をありのままに、しなやかに受けとめながら、
ゆっくりと生きてみる、
そんな思いを自分のことになぞらえて考えてみました。

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