突抜隊#4「 Reborn 」

Category : パフォーマンス見聞
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2015.11.27~11.29(4ステージ)
【 京都東山青少年活動センター 創造活動室 】

人は何をもって、成熟し、成就し、充足するか、という
いわゆる“日向”への強い志向の、当然ながらの真逆な影の側面というものもあって、
実はことごとく演劇の愉しさは矛盾するようですが、
このダークサイドに光を当てることによって成されているような気がするのは
僕だけではないと思います。
これは「求める“べき”美しき人生」のクソ面白くも無い話よりかは、
圧倒的に「失意」「絶望」「失敗」「堕落」「凋落」から生まれる
「妬み」「嫉み」「嫌味」「無気力」「無目的」「自堕落」「自暴自棄」に
魅力を感じるからに他なりません。
なぜならその部分の増幅、負のベクトルこそが観客への喚起に最速に届くからです。
誰でも持っている部分ですし、
その意識が仮になくてもいつでも表層に滲み出る用意はできているからです。
今度の公演のフライヤーもデザインさせてくれないかと申し出て、
オリエン的な飲み会の席で長谷川さんは
「今度は西成なんです」と。あぁそういうことか、
なら、みんなで西成ツアーに出かけようではないか、ということで別れたにも関わらず、
結果的にスケジュールが合いませんでした。
長谷川直紀の脚本はやはり風土性、その土地で育つからには、
それなりのものを否が応でも風土から背負わされ、
そのものを自己の歴史のアーカイブとして常に持ち歩き、
あるきっかけで吐露されたり、
トラウマになりながらも他者との関係性をやっと保って生きている、といった
恒常的に自己嫌悪を携帯しているかのような人物を描きます。
台本についても決して長ゼリフを好んでいないことはわかります。
つまり普通の会話とは言葉の断片のつなぎで成立しているような向きもあり、
曖昧に語り、曖昧に応えるという日常であることを
そのまま反映しています。
ですから見る人によってはとても、ぎくしゃくした会話に聞こえますが、
それこそが突抜隊のスタイル、と呼んでいいと思います。
端切れの悪さ、確認の応酬、生返事…聞き返さない、
問い返さない会話などほとんど無いのが日常です。
今回は天狗の面を用いて西成のオッチャンが狂言回しのような役割をしますが、
このアイデアは秀逸で突抜隊の新しい表現の一端を見たようでした。
突抜隊の話にはきっちりとした人間はまず出てきません。
責任感に乏しい、他力本願な、依頼心の強い人間ばかりが登場するのですが、
フシギに親しみやすいのは、誰が言ったか言わないか
「世界は身勝手でできている」という基本的な構成をしっかり踏襲しているからです。
澤雅展演じる弟の相変わらずの永年モラトリアムな青年を初めとして
それぞれの役者が「多少な投げやりさ」を
それぞれの尺度で抱きかかえている様子もよく描かれていました。
川本泰斗のほどよい崩れ方、
高橋志保の目ぢからと相反するようなもろさ、
弘津なつめのガーリー的刹那、
そして山田佳弘のベースは相変わらず引き算のフレーズでイカしています。
突抜隊が作った自らの容量から、
これからいかに水が溢れるか、
それもまた見ものです。

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