「 糸 白 水 ~ 井上 茜 展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
2015.12.01~12.06【 Lumen gallery 】

PC030051.jpg

作者の思惑の幅、言い換えれば “想定された効果” とも言うべき層の厚さというものがあるとするならば、時としてその予想を逸脱する事態が起こる場合もあります。販売するための額装が作品の表情を変えてしまうことに当初、井上さんは困惑を隠せなかったようです。作家と作品の距離、ということを最近よく考えるようになりました。ここでのコメントにも度々出てくるので、我ながらボキャ貧であると自覚はしているつもりですが、この距離感によって向き合い方は断然変わってきます。会場にいらした井上さんと思わぬ、そして楽しい立ち話の中で、僕が面白い効果だと思っていたものが井上さんにとっては必ずしもそうでないとわかった時、その後の井上さんと作品との距離感覚の、何と言うか焦点の合わせ方に、作家自身が溶解していく下りをとても興味深く聞きました。至近距離で作品と対峙しているとやはり「周囲の空気も含めた作品の在り方」が見えにくくなるようです。作品は作家の手を離れた瞬間から意図に関わらずに “客観視” される前提に立たされるわけです。アクリルで描かれた細密画はほの暗いギャラリー(ここはもっぱら映像が中心の会場のようです)に絶妙にマッチしていて、まるで綿密にロケハンして決めたように作品のサイズと空間の容積がいい感じでした。下書きなしで始める井上さんのミッションは、こういう作風ならではの描き上げた時のリアルな充足感というものが完成された後も残り香のように作品にまとわりついていました。描いている時は考えないという言葉に、やはり気の遠くなる様な細密な線で一定の振幅とテンションを保ちながら描かれている或る作家さんを思い起し「自動筆記のように、そう動くことがあたかも必然のように」描くという行為そのものが、作家にとっての確信なのだと思いました。井上さんは大分は別府の隣町で育ち、京都の大学で学び、再び故郷で自立生活を送りながら制作しています。ほどよい田舎町の環境が情報過多をいい意味でせき止めてくれるのかも知れません。故郷へ戻っても親がかりにならずに自活するための仕事のエピソードは実に面白く(と言っては失礼ですが)特に左官の師匠への弟子入りについても、明瞭な根拠と動機を持って臨んだことに、男前な人だなぁと感心させられました。そんな井上さんから紡がれるボタニカルなモチーフは、しかしあえてそう見えないように仔細な配慮のもとで円形を埋めつくしていきます。鏡面の裏や杉玉にも見えるこれらのシリーズを見ているうちに、複雑ではあるけれど、禅宗の円相を連想もさせ、しいては宇宙や輪廻といった仏教観に近いものを感じました。いつの間にか井上さんの話ぶりの誠実で正直な、作家としての抱えたジレンマやモラトリアムな時期を経たからこその、誤解を恐れずに言えば、その愚直さというものの大切さを実感したのです。

↓井上茜HPはこちら
http://akaneinoue.wix.com/akaneinoue-hp


PC030053.jpg

PC030054.jpg

PC030055.jpg

PC030057.jpg

PC030059.jpg

PC030060.jpg

PC030061.jpg

PC030062.jpg






スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

58カ国語に翻訳
English
お越しいただきありがとうございます

den

………………………………………
アート・ドキュメント・ブック・
ミュージック・演劇・ダンス・
朗読・時事・ひがみ・そねみ・
やっかみ・おせっかい…
などなどシッタカぶって書きちらかしては
自己嫌悪な日々をゆらゆらと
過ごしております。
「シッタカブリアンの午睡」
「デラシネ光合成」をこのたび一本化。
言いたがり、やりたがり、ノリたがりな
のんのんとしたブログにお越しいただき
ありがとうございます。
………………………………………

ここから、また…
最近の書き散らかし…
こんなこと書いてます
こちらへもどうぞ!