【 明倫ワークショップ 】青木 万樹子「 絵画制作 オープンアトリエ 」

Category : 現代美術シッタカぶり
あ1

2015.12.18~12.20【 京都芸術センター制作室8 】

青木さんの作品の初見は6年前の10月。銭湯に集う女性の艶やかな肢体を描いた作品でした。久しぶりに青木さんとゆっくりとお話しができました。部屋はニカワと絵具の匂いがプンと漂い、ブルーのつなぎ姿の青木さんがゆっくりとした所作でカンヴァスに向かっています。主にカンヴァスの裏に描いた朧(おぼろ)げで茫洋とした印象の作品が並んでいます。最初に入った時には掴みにくかったモチーフらしきものが徐々に現れてくる感じは、シャッタースピードを遅くしたカメラのように観客(=僕)と作品の間で、ちょっとだけ目線がぶれて輪郭は曖昧になって映りますが、やがて微妙なタイムラグがあった後に、対象の核心に近づいていきます。青木さんの絵は一瞥ではなくて、こうして向き合う時間をかけて眺めることで、画面の中の様々な因子や要素がそれぞれに振動しながら作品を構成していくのが、何となくわかります。対象をクリアに描くことはあくまで対象あるいはそれにまつわるものを示したいという明らかな意図が働きますが、青木さんはイメージをたぐり寄せるようにして、ゆっくりとじっくりと時間をかけて、鑑賞者の脳に像を結ばせる手はずを急ぎません。だからでしょうか、ここに居る時間に比例して立てかけてあるいくつもの作品が最初とは違う印象に見えてくるのです。しかも近づくと細かなストロークが見てとれ、画面が揺らいでいるように感じます。小さなものからかなり大きなものまで、いずれにせよ、相当の手数をかけて描いていきます。一定のテンション、集中、気持ちの維持がゆるんでしまうと途端に「糧」のようなものが消え去ってしまうほどに、こういう絵は実に難しいとシッタカぶります。画家が完成と認識し判断するのは勿論、画家自身ですから、始めるのも終らすのも一つの確固とした確信がないと、ひとり歩きを始めた絵は作者の「念」から遠く離れていきます。評価と理解は別物ですから画家はいつも何らかのジレンマの中で宿命的な厳しさを背負うことになります。あせらずに自分の流儀という筆を静かにカンヴァスに置いていくことこそ、画家ならではの作法であると、またまたシッタカぶってしまいます。生意気言いましてすいません。アトリエにお邪魔した感じでとても愉しかったでした。

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