「 佐々木 真士 展 ~ 大河のうた 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.01.26~01.31【 ギャラリ恵風 1F・2F 】

まだ20歳になることなんか想像もつかなかった呑気な時に、僕のまわりで常に取り沙汰され、注目されていたのはまぎれもなくインドという国でした。そこには純粋と汚濁がひとつの地平につながっているような、あるいは欲と無とが隣り合わせのような、もっと言えば「決して目的を持たず、ついては見返りも求めず、ただなすがままに生きるということを体感し、そこから得たであろう己の哲学を体現する」といった見栄や体裁も含めたひとつの憧憬があったのです。同じ温度で語られた土地にカトマンズもありました。かつてヒッピーの聖地と言われた場所への張り裂けんばかりの羨望は、しかし年齢を経るに従ってしぼんでいきました。それは年齢に応じた、そして年齢というものの切なる時間の辛辣さや人間関係に翻弄されて、それどころではなかったのです。さて佐々木さんは在学中に中国、ネパールと旅行、大学卒業と同時にインドに旅立ちました。僕が憧れたひとつの「自分へのつぶて」のようなものは、佐々木さんの言う「将来への不安や曖昧な思いは、焼けつく大地の中にあって、くだらないもののように思えた」という一節に通じるものがあります。きっと自分をいじめたいというサディスティックな思いを未知なる土地に投げてみたかったのだと思います。会場では佐々木さんの興味つきないインド紀行のほんのさわりと、インドがはらむもの、放つもの、制御できないもの、苦しさ、そして「生きる上での或る等しさ」のようなもの、つまり路上で20代と思われる男が今にものたれ死にしそうな状況のなか、また野良犬と「エサ」を奪い合う様な現実を、人々は何ら気にも留めずにスルーしながら、むしろ、それでも生きているということの微かな尊厳すらそこには漂っているということ。彼は彼の等身大でしか生きることはできない。死は生きること。生きることは死を思うこと。誰もそのことに手を貸すことはできない、という現実には切迫した状況の中、みんなが冷静に対処しているということの不可思議さ、これが日常のインドという国の、減速する中国経済の次を担う大国の側面でもあるという奇妙さ、なのでしょう。体温をはるかに越える環境の中でいきいきと生き“続ける”人々への魅了がどの作品にも表れていました。


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