「 KAC SHOWCASE / Dance 」

Category : パフォーマンス見聞

◆ 男肉 du Soleil「男肉's 栄光~男肉×女肉=聖肉~」
◆ MuDA「 MuDA AREA.02 」
2016.02.12~13【 京都芸術センター フリースペース 】

開設15周年記念事業として京都芸術センター主催の「 ART FESTIVAL バラエティボックス」が2月5日を皮切りに1ヶ月間発表されます。そのうち制作室を創作の場に使用する5組のアーティストによるショーケースが開催され、さて二発目の「Dance」編。踊りというか、ダンスとはグリスの効いた関節という人間のファンクションを、まずはコリオグラファーやダンサーたちだけの共通言語である一種のギミックを用いてカンヴァスという舞台に絵を描くようなものではないか、とシッタカぶるのです。最初の男肉 du Soleilについては物語、あるいは「いきさつを見せるもの」への段取りに客が追いついていないので、全体に散漫な印象が拭えません。もっともポストトークについてハナからダベるモーション前回なので、彼らも言うようにワーク・イン・プログレス的なニュアンスでした。下世話で親和性のあるダンスユニットだとしたら、この曖昧さやユルさのようなものは、勿論それなりに計画されたり演出されたりしたものでしょうが、彼らの持ち味そのものかも知れません。二番手のMuDAについての潔さはもう筆舌に尽くし難い明快さというものがあります。先の例えで申せば、非常に即興性の強いアクション・ペインティングにような表現です。ダンスを、点で立ち、面で捉え、瞬時の均衡で形作る「生臭い表現」のひとつと考えたら、MuDAの、挑戦的で野趣あふれる動きと、リピートすることで「ダンス=放出=疲労」という極めて有機的な(それはまぎれもなくダンサー個体が持つ摂理、生理)流れは、芸術的表現と言うにはあまりにも弛緩のない、むしろ暗たんたる袋小路に入ってしまったような閉塞感も伴います。同時に「床=地」に己の肉体を「捧げもの」のように叩き付け、延々とリピートする姿にどんどん前のめりになっていく自分を発見したりします。飛び込み、ぶつかり、かたまり、ひきはがし、なお、立ち上がり続ける彼らを見ていると、個々がそれぞれの「特性」とも言うべき動きをしながらも、他者との物理的な間隔を常に意識しながら、決して「ケガをするような」動きはしない、という揺るぎない鉄則のもとでの「自己責任」が一堂に介しているという印象を強く持ちます。これはダンスというインデックスに記載されているだけに過ぎない、と思わせる、ほとんど独占的な独自性に満ちています。ただ演出に関して感じたことは、あえて呪術的で地下的世界を彷彿とさせるものよりも、もっとスポーティーで垢抜けてもいいのでは、とも思いました。メイクにしても、音楽にしても、いくつかの条件を“満たしすぎる”調和のようなものも感じます。つまり個々、単体の主張がある中でどこかにユニゾンがあったり、シンメトリックな構図になったりする瞬間があっても面白いんではないか、などとシッタカぶってみたくなります。とにもかくにも、こういう「ダンス」もあるのだ、と広く認知され、伝達されたらいいなぁと…そんな風に思いました。
※画像は撮影許可の出た「男肉 du Soleil」のものです。






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