「 Strange Fruit II ~ 朝井 章夫 展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
あ2-2

2016.02.16~02.27【 galerie 16 】

朝井さんは2011年9月の同ギャラリーでの個展が初見でした。ギャラリー内全体に腐臭漂うというダイナミックなインスタレーション作品を発表されていて、まさに「循環装置」と言えるものでした。朝井さんが海にもぐって採集した様々なゴミ(生活から産業までの)を水槽に閉じ込めて、水を循環させ、徐々に色が濁り、見る者に視覚と嗅覚によって、じわじわとした痛みを与えるというメッセージ性の強い作品でした。僕にとって5年ぶりの朝井さんは舞台装置とみまがう森をギャラリーにこしらえました。しかしそれは決してマイナスイオンを想像させるような穏やかで平和なものではありません。この作品のきっかけがステートメントに書かれていました。若い頃に軽登山に行き、石に腰掛けてひと息つき、ふと樹の上を見上げると枝にペットボトルが掛かっていました。妙に切なく、気が付くとビリー・ホリディの「ストレンジ・フルーツ(奇妙な果実)」を口ずさんでいました。この曲はリンチされ、木に吊るされた黒人を奇妙な果実と例えた実に鮮烈な内容のものです。「なぜ、人は物を捨てるのか」このテーマは初見のインスタレーションと通低したもので朝井さんの大きな創意のもとになっています。消費=廃棄という当然のような成り行きはまた、本来あるべき人間の理性をマヒさせ、経済の成長を担保するにしてはあまりにも払う代償と留まることを知らない汚染をもたらします。過去に日本が、いや国民が、もっと言えば世界中の国が犯してきた「静かな罪」は天文学的にボディブローとなって地球を疲弊させ、汚染させ、破壊させることになることは自明の理です。この森の木はどこも牙や角のように先端が尖り、人間を拒否しています。そこに掛けられたペットボトルはしかし、丁寧に網状の袋に保存されるがごとく納まり、まるで「これを、見たことを忘れてはならない」という鋭い命題と啓示が感じられます。これはあくまで僕個人の見解ですが、限られた大地に据え置かれた大量の核による廃棄物の画像を見た時のおぞましさと建前と本音の間でなおも原発を止めることをしない為政者の感覚、いやそこには想像を越えたしがらみや欲が渦巻いているからこそ、目をつむったり背けていけないものと自覚しています。

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