「 今日も(私が)幸せであるために ~ 志村 佳苗 個展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.02.23~02.28【 KUNST ARZT 】

「若い女性」という言い方より、いつの頃からか「女子」という呼ばれ方そのものに独自のニュアンスをもたせるようになりました。「ジョシ」という響きの中にあるものは、ある年齢に達した同性からはもしかしたら、くやしいけれど、危うさとしたたかさと幼さがないまぜになったような奇妙な「かつてあったもの」への羨望がわずかでもあるかも知れません。例えば自分の穿いていたパンツによって金が手に入るという方法があるということ、それを実行するに至る動機というものが全ての女子の共通認識であるかといえば、勿論そんなことはありません。しかし「わからなくもない」という理解を可能にさせる何かが潜んでいるのも確かです。そのことを諌(いさ)め、問題視し、正すということが、果たしてどこまで目的を全うするかと言えばはなはだ疑問です。「誰にも迷惑かけてない」というフレーズが当然のように彼女たちの口から放たれる時、それに応える術を持ち得るでしょうか。「被害者はどこにも居ない」のです。モラルというのは他人によって=一定の尺度によって意識するものであるという仮定は乱暴でしょうか。「棲息する女子」というステロタイプな見解はあるにせよ、ここに色々な要素が含まれていることもまた事実です。現代美術にとって「女子であることの素材感」は、はちきれんばかりの肉体に宿る「間違った達観」が世相を映す鏡になっていることが自虐的な魅力を放つと同時に、昨今の政治家や聖職に就く人間たちのおぞましい劣化に伴う愚行が取り沙汰される中、「じゃあ、彼女らは果たして何をしでかしたのか?」と問えば、さほどのことでもない、とも言えるからです。旬というのは過ぎれば旬ではなくなるという当たり前の定理をちゃんと知っているはずです。むしろするはずのない人たちが起こす面倒の方が皮肉にもより現実的であるということです。さて、正方形の方が描きやすいとおっしゃる志村さん。画面のコッテリ感は何となく泥ソースを思わせる印象で、作家さんも結構何度も筆を置きます、と。このコッテリが合うんですね。結構アクの強い具材なだけに負けじと重たい感じも中々なものです。

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