「 米田 有希:遺品 」 他

Category : 現代美術シッタカぶり
美術工芸学科 写真コース(指導教員:やなぎ みわ)
京都造形芸術大学 卒業展 / 大学院 修了展
2016.02.27~03.06【 京都造形芸術大学 】

例えば、京都精華大学では芸術学部の版画コース、京都市立芸術大学では美術科の版画専攻、またはビジュアルデザイン専攻なのかな、成安造形大学ではメディアデザイン領域、京都嵯峨芸術大学では芸術学部 造形学科の油画・版画領域、そして京都造形芸術大学では美術工芸学科の写真コース、とまぁ、その所在というかカテゴライズが各大学によってまちまちです。版画の「一種」であるという解釈はプリント(一点ものではない)であるから複数であるので、すなわち手法としては版画の域に入るという説明もとても明快ではありますが、どうしても手法在りきであると、表現方法にばかり目が行く作品、あるいは写真を造形の一端として利用するといった、それはもう領域なんか関係ないさ、の世界になっちゃうのですが、僕なんかはそれにはあまり興味がありません。古いのかも知れませんが、やはり写真はドキュメントであるという定理みたいなものが根底にあって、同時にそれは「どこまでいってもヒューマンにいきつく」という、これまた定番中の定番みたいな思いがあります。そのデンでいくと京都造形芸大の写真コースの作品はとても僕にはハマるんですね。今回の卒制の作品もやはり近視眼的であろうが、なかろうが、どこまでもヒューマン、です。ここには竹内万里子さんという(勿論面識などありませんが)素敵な准教授がいらして、僕なんかは浅学なりに、この方の授業を真剣に受けたいなぁなどと思いますよ。「私たちは何を見ているのか」という視座はやはり写真というものの根源的な提示ではないか、などとシッタカぶります。では長々とした能書きはこのへんで。5つの卒制をこれから紹介したいと思います。

まずは米田有希さん「遺品」ですが、英語表記では「memento」とあります。メメント・モリというのは「死を忘れるな=死を思え」といったラテン語ですから、そういった含みも込めたものだと察します。祖母が亡くなって13年。祖母が使っていた「モノ」をこういったレイアウトで表現することで、一気に湿り気が吸収されました。故人のストックなのでしょうか。整然と並んだ遺品にはなんとなくユーモアさえ感じとれます。この捉え方は僕にとっては新鮮で、モノの向こう側、彼岸に行き損ね、捨てられ損なった愛すべきモノたちへのオマージュ。祖母もこんなカタチで「発表」されて、あの世で困惑か、孫娘よ、ありがとう、と応えるか…素敵な展示ですね。まずはモノをモノとして、つまり祖母必須のアイテムとしての敬意を払っておられる。ここんとこ大事です。次はアップ画像ではわかりにくいのですが、東シナ海を囲む4つの国から撮影したシリーズ作品で、うっかりと作者名のパネルを撮影しませんでした。すみません…もしかしたら現代美術コースの生徒さんかもしれません。さて、当然、海の写真です。だから描写力がどうのといったことではなくて、いかに他者=観客の目を借りて提示できるか、という写真です。その寒々とした日本海の暗い青。そして「見えない境界」を内に潜ませています。島国であることの意味性を逆相的に捉えると確かにこういうことになります。それぞれの国から見た水平線そのものが、水平線という普遍の共通項を持ちながら、ニュアンスは異なる。僕はこういう写真が実は好きです。想像させること、考えさせること、できれば長く深く…それもまた作者の目がそのまま他者の目に置換できる写真の力でもあります。これを描こうとすると、理解しようとする側との微妙なタイムラグが生じますから。

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