「 降り落ちるものを ~ 今村 遼佑 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.03.08~03.20【 ART SPACE NIJI 】

作品からフィードバック、あるいは波動というか、さざ波のような返しを受けた展示というのは不思議と忘れません。それは物語や背景、遍歴やクセといったものと大きく関わってきます。今村さんの作品の間に流れている「間」はそのまま「言葉」が空間を泳いでいるようでした。具体的な文字や語彙が浮かぶということではなく、もっと詩的でセンシティブな感じです。会場の隅にある鉢植えは沈丁花(じんちょうげ)です。今村さんは言います。「普段当たり前に通っている道。夜、視界に入るものが薄らいできた頃、この花の匂い(僕には香りというよりも匂いというニュアンスの方が強い)を嗅ぐと、どこかにこの花の存在を意識します」と。鉢のふちには極小の街灯(今村さんの定番の造形物、クオリティ高過ぎ)がわずかに点のように土を照らしています。作品名「夜の沈丁花」はこうして言葉を紡ぎます。うーん、この世界観、いいですねぇ。入り口近くに、ただ「そこに置く」といった風情の青いポリバケツ。中にはiPadに映された、真冬にバケツの表面に張った薄氷を小石を投げて割る様子。僕たちが「記録」として見ているものと今、目の前にあるモノとがカブって微妙な振動が起こる。思わずクスッとするインスタレーションです。扉にカーテン(普段は掛かっていない)、その横にiPhonに映る風に揺れるカーテンの動画。隣からピアノの音が聴こえます。劇中劇、入れ子のような構造ですが、「今」と「起こっていたこと」との距離感を緩やかに保つことによって「思いを巡らす」といった情緒が呼び起こされます。今村さんは展示の時に作品の間を意識します。通常メイン作品を描ける壁には絵画の小品。この間が気持ちいいんですね。本でいえば、あえて1行しかないページのような…全体に散文的な繊細さ。集約された美しさ、という印象が伺えます。日中はぎりぎりまで室内の照明を付けません。茫洋とした柔らかな外光だけ。雨とか曇天の方がこれらの作品には似合っています。小吹隆文さんの京都新聞での美術展評の「エコーするイメージ」というのはさすがに言い得て妙。ご自分にとってのフェイバリットは?とお訊きしたところ、堀江敏幸氏の名前が上がり、恥ずかしながら初めての名前に、さっそく検索してみると、これはもう読むしかないな、と。なるほど…

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