やはり、学校は怖かった…「After School・放課後の展覧会」

Category : 現代美術シッタカぶり
学校1

学校3

5月23日→5月31日【元 立誠小学校】

「学校」は美術作家にとって創造力をかきたてられる絶好の「場」なのです…

フライヤー解説の一節だが、さて、かきたてられた“結果”はどうか。
地元新聞アート欄でのコメントにもあったが
学校というところは強烈な「意味性」を放つ、
とんでもない「磁場」のかたまりである。
つまり彼らにしてみれば、とてつもなくハードルが高いというわけだ。
以前にも、ここでの展覧会を観たが、コメントできるような代物ではなかった。
学校という「怪物」は相当に手ごわい。
ましてや廃校となると、もうお手上げ状態だ。
雑草だらけの裏庭、錆びた蛇口、割れたタイル、折れたチョーク、
きしむ床、曇った窓、開かない扉…
それぞれに完結した表情を持ち、引きようも足しようもない
「経過」した世界が出現する。

今回は垣根を越えて11名の美術作家たちが
それぞれに抱く「放課後」を作品に投影し、試みた。

可愛らしい体育館に展示の佐川好弘氏の「青春タイムレター」。
この場にふさわしいスケールメリットを活かした作品である。
球体から飛び出た「不安」「共感」「向上心」などの三次元文字が
それぞれの言葉の持つ意味を増幅させているのか、その逆なのか
観客は苦笑しながらも、何かを要求されているような
突きつけられているような強迫観念を抱かせる。
もうひとつの彫刻(?)物も横にあったが
観客多しで撮影は不可だった。
ちなみにこの球体には大人2人ほどが入れる。

廊下にできた壁。
近づいてみると下から天井までびっしりと本で埋め尽くされている。
それは多くの子供達が手にし、広げ、読み、覚えていった
活字や絵の凝縮された異様な光景である。
廊下を塞ぐ本の壁、それは知の壁か、物語の壁か…それとも本嫌いな子にとっては
決して乗り越えられない壁か…
いずれにせよ、この壁は、読書感想文が書けずに暗澹たる気分に浸った子供にとっては
やはりトラウマな壁かも知れない。

作品を徹底的に破壊し、教室をまるで台風一過の状態にする。
「嵐の後の教室はぶっこわれたお花畑」という作家のコメントにあるように
小学生の熱い破壊願望と爽快感を具現化した「大道具」感覚の木藤純子氏の作品。
そう、彼らはなんでもよく壊す。

僕にとっては、他の展示作品は
全て「そこに在る見えない状況」に負けてしまっている気がする。
元よりホワイトキューブで耐えられないものが
ここで持ちこたえられるわけもなし、
若さの勢いだけではいかんともしがたい。

必要なのは湿気った情緒などではなく、圧倒的な力量(あるいは体積)をもつ
「こちら側の怪物」を創造することしか無い。

学校、いや廃校に漂うオーラは
向かうところ敵無しの恐ろしさに満ちていた。

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Comment

最近、学校のなかに身を置くと、なんだか ねじって絞られていく雑巾になった気がするときがあります。 学校は、強迫観念という名の磁場。 そうか、そうだ、そうだったんだ。 常に学校に‘居る’と感じなくなるんですよね。 センサーが働くようになった私は、そろそろ足を洗う時期なのかも。

→風さん

雑巾…日常では多少なりとも心身ともに雑巾化(?)することがあります。あんまり絞られすぎてカラカラになっちゃうとか……廃校に行く度に、子供の聖地であるという美しい神話の残滓を踏んで歩いているような感じに襲われます。でもね、風さん、感じなくなることで彼らとの対等な関係が構築されるとも言えます。働く“現場”では“ニブく”なった方がラクかもしれませんよ。

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