「 鈴木 祥太 金工展 〜 循環 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.03.15~03.27【 清課堂 】

2年前に京都に移り住んだ鈴木さん。大げさではなくここ京都にこういう一人の希有な「造形の才」が住んでいるということに感謝せねばならないと思いました。しかし驚くべきは作品の画像情報だけを得て、決して若くは無いであろう、むしろ老練な作家という予想の範囲を見事に裏切られ、そこに居てにこやかに観客に挨拶をかわしていたのはなんと29歳の若者でした。東北芸術工科大学芸術学部工芸コース金属工芸専攻卒の鈴木さんは小さい頃から庭いじりとモノづくりが大好きな少年でしたが(ここが大きなポイントなんですが)なぜか柔らかな粘土は嫌いだったのです。つまりこれは感覚的というか趣向というか好き嫌いの選択からの出自ということになりますから、解説にもあるように、限りなくリアルに創るのであれば樹脂や紙素材の方が向いているはずです。面白いのは「だと、すると金属素材でどこまでリアルな表現が可能であるかを考える」という方法論への徹底的な追求のベクトルです。これはもう鈴木さんの、鈴木さんによる、鈴木さんならではの「やり方」で成就するためのとんでもない試行錯誤と試練鍛錬の始まりでもあるわけで、もうため息しか出ませんね、感服なんて言葉が吹っ飛ぶほどの。この小さくて緻密で、それでいて僕たちの「金属で叶う造形」の想像を軽く凌駕してしまう造形は、どれも「路傍の花」です。会場でもお話させていただいのは例えば、たんぽぽを想像します。みんなが知っている凡庸な(しかしモチーフのひとつであるシロバナタンポポ」は関東以西に分布し東北にはないそうです)あのフォルムにしゃがんで目をこらすことなど幼少のワンシーンにしか過ぎない忙しい日々を送る現代人が、こうして本物と見紛うほどの作品を見て(もちろん会場の素晴らしさもあります)何かを「振り返る」時間というものを得るんですね。ささやかな感慨というにはあまりの出来映えです。まさに鈴木さんが言わんとしていることとは、ちっぽけな道ばたの野草が「生命の循環」という法則の中で、寡黙にじっと佇んでいるというひとつの「現象」に目を向けるという「視覚の句読点」を求めているのだということです。素晴らしい造形とは、その緻密さ=技巧に目が行きがちであり、またそれこそが手技の妙であるのですが、それを越えた作家の心性というものがこうした形で、声なき声を発していることに気付く時、なぜ鈴木さんが創り続けるのか、ということを、観客のひとりとして帰り道に密かに想い続けるのです。
※カメラに疎い僕の画像ではひとつまみも伝えられないもどかしさがあります。鈴木さん、すみません(笑)

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