「 塩賀 史子 展 ~ 永遠について(仮)~ 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.03.15~03.26【 galerie 16 】

これほどまでに正面切って、対象を描写しうる作品というものを、いつから、見ていないだろう、と思いました。突拍子もないもの、予想だにしないものになんとなく見慣れた目に映る200号の桜は、僕の想像の限界を確実に越えてしまっていました。描かれた対象とは相反するかのように、ギャラリーに入った途端に鼻腔にまとわりつくような油の匂い。春に匂う桜を描く、というモチーフ、テーマそのものは、猛然と普遍的でそれ以上でもそれ以下でもない、との勝手な判断を、これでもかと覆すほどに強烈で新鮮な提示で突きつけてきました。ギャラリストとも共感したのがその「勇気、英断」です。このカット=トリミングはカメラおじさんたちが群がる至近なアングルであり、実に極めて普通な視線なのですが、それを「あえて」ここまで「描き抜く」という意志に僕は蒼々たる見えない力を感じるのです。絵描きなら尻込みか、嫌か、なんで?というような、満開の桜というモチーフを堂々と「描き切る」力は澱みも躊躇も微塵も感じられません。「正直な」というとおこがましい言い方ですが、絵を描くにしては実直すぎるスタンスに、ギャラリーから帰ってきた今も衝撃に近いものを受けています。この絵の前に立つと僕は羽ばたく虫の目に近い感覚で、自己と「普段な自然」との関係を奇妙な視点で再認識させられてしまうのです。それは「桜という宇宙に入り込んでしまう」疑似体験かもしれません。そこには迫力とか気迫とかいう陳腐な例えではない、作家の覚悟なり、魂といった根源的な力、方向を感じ取ることができます。これは見る側にも或る用意や覚悟が必要かも知れません。その「覚悟」がそのまま作家へのリスペクトと転化していく瞬間を体験するのも、実はそうは無いことです。そして何よりもここにあるのは「畏敬の念」です。桜の宿命的な生命の摂理にその健気さよりも「桜の強くて静かな意志」を感じるのはぼくだけでしょうか。現在高校での美術教師でもある塩賀さんは不在でしたが、教師をしながら絵を描くというある種の「せめぎあい」の中でこれほどの力みなぎる作品の列挙に、ちょっとたじたじとなった次第です。ひと足早いお花見をさせていただきました。

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