「 DANCE HOLE 」冨士山アネット

Category : パフォーマンス見聞
だんすほーる

2016.3.20/17:00の回【 ARTZONE 】
構成・演出・振付:長谷川 寧

出演者のいないダンス作品。これを「公演」と呼ぶべきかどうかよりも、毎回10名限定の参加者と60分を「ダンスって何だ?」の問いかけと、正直困惑の時間を共有したことだけは確かでした。出演者はいない、とありますが、同時に観客も居ません。先立っての横浜(のげシャーレ)では全28回、京都はその半分の14回ですから、京都ではのべ140人の参加者がこの何とも言えない体験をされたことになります。まず5人ずつが別室で待機。しばらくしてナビゲーターによって階上の会場へ。互いに手を繋いで闇の空間へ誘導。他の5人と大きな円をつくり、そこで全員を朧げながら確認します。ここから長谷川さんのナレーションに沿ったプログラムが進んでいきます。質問、その答えによって或る振付けができます。また指示されたメッセージカードによって各自が動きます。もう一度言いますが、この「公演」にオーディエンスは居ません。ここに居る10名の参加者と長谷川さんの声だけです。ある人にはワークショップのように映ったかも知れません。実際には2人の女性ダンサー(というのも「私はダンサーである」という質問がありましたから)が参加されていましたから、尚のこと念の入ったWSの様相を呈してはいるのですが、ただ何かをつくるためとか完成を目指すとかではないので、参加者にとって「感情のコントロール」は不必要でさえ、ありました。抑制された最小限の動きであったのは、公演の観客として参加した「つもり」の人に向けての配慮であったかもしれません。帰り道にダンサーである参加者に思わず声を掛けてしまい、歩きながらしばらくダンスの話をさせていただきました。その方も「自分のしていることは果たしてダンスなのか」という慢性的な自問を抱えていらしたとかで、ダンスという言葉が放つあまりに曖昧模糊とした世界観や想定しうる範囲、説明のあやふやさについてお話ししました。神戸から来られた方で足早に去っていかれましたが、一人帰り道に長谷川寧さんという、ショーマンとしても振付師としても、俳優、ダンサーとしても、またアート(特に映像)の「使い道」についても群を抜くセンスを持つひとりのアーティストでさえ「ダンスと呼べる何か」「ダンスと呼べるのは何か」という、命題を常に自らに課して仕事をされているということに改めて感服するのです。「生きていることはダンス」などという陳腐な例えではない、もっと根源的なテーマを抱えながら素晴らしい作品を次々と放つ長谷川さんです。僕にとっては大き過ぎる、でも魅力的な宿題をもらった生徒のような気持ちになりました。
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