「 邵 婷如(シャオ・ティンルー) 展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.03.15~03.27【 ギャラリー恵風 1F 】

かつては(いや僕が知らなかっただけであったのかもしれません)特定の民族を強く揶揄し排斥しようとする集団が街頭を練り歩くデモなど想像もできませんでした。その拡声器からの罵声に「在らん限りの本音(ここで言う本音は勿論ネガティブなもの)を許容し、まず攻撃を防御の楯とすべしとする不寛容なスタンスが理解とか納得とかではなくて、直感的な嫌悪を表す手段となっていることにかなりの危機感を覚えます。台湾生まれの邵(シャオ)さんの作品を見て心の中で小さく「嗚呼」とつぶやきながら、もしかしたら目に見えている「作品の表層」だけを捉えて解釈してはいまいか、と自身をたしなめたりもします。現代陶芸の分野では著名な方で39点の作品が17カ国で美術館や財団で所蔵されている著名な作家さんです。さて、軍服のようなコスチュームに身を包んだ5体の型で成形されたフィギア=磁器は口を真一文字に結んで、主君たる独裁者への永遠の誓いをポージングしているように見え、そして、その神格化すらされた主君に何より人格を束縛されているように思えます。見てはいけない、見ることさえ許さない厳然とした掟。真っ赤な台座の意味するものは?などと穿った見立てをしそうになるのをグッとこらえてシャオさんに質問したいのですが、なにぶん英語がさっぱりで、そんな時、上の階で個展をされている宮本ルリ子さんが素晴らしい通訳者となり、まるでアーティストトークの独り占め状態になり、恐縮していまいました。台湾すなわち中華民国の心象というものはあくまで推し量るしか手立てはありませんが、他のどの国とも異なる政治的な背景を抱えていると思います。かつての香港の大規模デモを取材し撮影した個展を見た時の「何かを阻止する、せねばならない、すべきである」という民衆の意志のひとつの提示と似たような「忍び寄り吸収しようとする得体の知れない怪物」の気配の恐ろしさを暗示しているようでした。しかしシャオさんはもっと「単体」としての人間のエゴに焦点を当てています。デモであれ、何であれ、そこに数的な「共感=主張」が生まれるということは、一人ひとりの心の中の「圧倒的行動配分」ともいうべきものの結果が「集合すること」であると考えられ、逆算していけば当然のように個人に突き当たります。そして、これはシャオさん自身の普遍的エゴイズムの「フィギア化」とも言えます。初期化された彼らの「忠誠」や「従順」といった表情から見えてくるものは何でしょう。個人のささやかなエゴが結局は力の成分の一単位と成り得るわけです。エゴは摂理でも定理でもなく、その時々に応じて検証し、時代と個人との間に起こる摩擦熱を解熱しつつ分析するべきものへと変化しているように見えました。なんだか言いたいことの半分も言えませんでした…このフィギアたちが示唆するものに教訓(多分シャオさんは爪の垢ほども望んでいませんが)があるとすれば「民主主義とは構成される個人の最大公約数的なエゴを共有し昇華していくこと」なのではないか、とエラそーにシッタカぶりました。

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