「 細馬 千佳子 展 ~ 物質の解放 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.04.01~04.10【 ART FORUM JARFO 】

僕は年甲斐もなく、ついべらべらと喋くる悪い、いや軽いクセがあるもので、落ち着いた風情のある細馬さん、ご迷惑かけたかも知れませんが、ご勘弁を。さて「行動と思考」「肉体/物質と解放」という細馬さんのワードがあります。これらはいずれも一体に共存しながら相反関係にあるものだと思います。思考のままに行動できるか、あるいは肉体・物質はどこまで解放できうるか、というジレンマに巷の芸術家は思い悩むわけです。意のままに動くこと、また肉体や物質を解放しようとすると相当なエネルギーと覚悟が必要です。いやむしろ叶わない危うい関係性があるからこそ、芸術表現というのは現世においての主張(それはむしろ精神的なものとしての=カタルシスとして)やそれに伴う快楽の一手段として多くの支持を得ているのではないでしょうか。4月2日の初パフォーマンスも実は会場での制作だったものが、ライブでやってみたらどうだろうか、という提案のもとに実現したようなのです。細馬さんの画風同様に予定調和に終らないイベントになりそうです。さて、どうやって描いたかというテクニカルな部分がクローズアップされると、とかく見失うものが多くなります。でも人情として、やはり、細馬さんの、細馬さんならではの「筆法」というものは知りたくなります。僕たちは「絵を描く」というイメージを表面から徐々に、思う様に構築していくといういわば「絵画の普遍性」というものにとらわれがちです。それは正面にある眼球がそのプロセスを欲しているからなのです。細馬さんが描いている表面は実は裏側になります。では、そのプロセスは誰が知り得るのか。実は細馬さんさえ知りません。自分に見えないものを描いているのも自分であるという、これは一種、女性だから描けるのかも知れない「未確認の美への確証」なのではないか、と。つまりメイクを施しても実像を見ることは無論叶いません。それはあくまで鏡に映る、それも反対像で見ながら自己評価、自己判断、自己査定しなければならない。しかも一歩出たら、客観的な判断さえ迫られる、男性にはおそらく知り得ない厳しい世界なのです。フィルムの裏(実は表)の筆致がこうして艶やかな命のうねりを作っていく。なんだかリアルな女(性)の心性を見るようで、迫ってくるものがあります。明日には会場でペインティングのライブパフォーマンスが行われます。会場の中央に据え置かれたカンヴァスと瓶に入った真っ赤な絵具はこれから訪れる「物体の解放」へ向けて、じっと黙想しているようでした。「ギャラリーの空間に物質が滴下し、時間を定着させる。物質が絵画として自立する過程を可視化する」

※ライブペインティング(パフォーマンス)は4月2日の午後5時からです。

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