「 山西 杏奈 ~ inside of the case 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.03.29~04.03【 同時代ギャラリー 】

2年前の夏の初個展での「三本立像(2012)」を見た時の衝撃に近い新鮮な驚きは今でも覚えています。昨今は例えば卒制でも木、石、鉄素材の彫刻作品がめっきり少なくなってきました。学生の頃の制作場所や道具の提供や、その自由度が逆に卒業してからの大きなしばりになっているようで「場所」「音」「塵」について物理的な条件を満たす難しさも深刻な要因のひとつになっているようです。さて、その衝撃から何度か作品をそれぞれ違う場所で見ることはあっても、これほどの規模の個展は僕にとっては2度目です。もうギャラリーの正面に “浮かぶ” 円環の砂の島たちを見ただけでワクワクしてきました。過去の作品(あの三本立像も!)を混じえての展示ですが、初個展のステートメントにあった「時間をかけながら場所と作品の間にある目に見えない緊張感をつくる」という一文と今回の「(彫刻は)いつも外側を作ることであるけれど、そこに自己投影ができたとき、それは木の塊でなくひとつの内側を持った入れ物としての性質を持つ」とを読み比べてみるとなんとなく作品をとりまく空気感から、次第に作品そのものの核心により近づいているソリッドな印象を(勝手ながら)受けました。もはや作家としてのフィロソフィーになっているな、と。しかし、やはり山西作品から放たれる気配は作品の表面積比とは関係なく、大きく展示空間にただならぬ気を漂わせます。まろやかな表面、波打つ皺、ひねり、よじれた造形はそのまま「元のカタチに戻せそうなほどに、一点の矛盾もなくそこに在ります。今回は拾ってきた木の枝に制作された造形を継いだものと、なんとその木に直接彫り込んだ作品が展示されていました。奥の小部屋に掛けられた作品はこんなに小さく、てか細いのに、まるで呼吸をしているような「再生」の息使いが聞こえてくるようです。山西さんの作品を見ていると、なぜか神仏に関わる精神性のようなものを感じます。作品のバリエーションはとても豊かで、木が彫刻素材としてではなく「生き物として蘇ったさま」を見ているような気持ちになるのです。

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