「 街色ララバイ ~ 松尾 勇祐 木彫展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.03.29~04.10【 gallery morning 】

僕だけでしょうか、木彫に限らず「ひとのかたち」を立ち上げていく人に人知れず或る微妙な恐怖感を抱くんですね。恐怖というと誤解されますが、なんというか、変な例えで申し訳ないのですが、今時のカメラで撮ろうとすると「ひとの顔」として認知して、途端に正方形のマスがファインダー上に出てきます。勝手に認知しているわけですが多分、動物も同じ様な見え方をしてるのではないか、と。顔があって首が下にあって胴があって足があって、という至って当たり前な造形として、ひとを認知していている自分の中の当たり前さが、彫刻の前で瞬時に凍り付いてしまうんですね。なんだか見透かされているような、そんな恐怖.松尾さんの木彫はやはり他の誰とも違います、当然ですが。どこが、と言われれば、やはり塊から彫り込んでいるプロセスがそのまま表出しているような作風でしょうか。もちろん作家さん自身にとっては完成形なのでしょうが、僕には「宿命的な材のカタチから生まれてくる必然のような収束」といった感があります。頭部の一部、あるいは腕、胴体など、人体としてのフォルムを彫っていると言うよりは、何を、どこを、どの彫り方で、どこまで、作ろうかということに重心があるような気になるのです。前回も述べたことですが、彫刻のことを何にも知らないシッタカでも、このスケールでの作品ならではの難しさ、というものがある、と確信します。それだけに、尚かつ、彫り込み過ぎずに、余韻、余白を残す風情というものが、どの作品にも漂っています。一体一体が実にポエティックなんですね、ええ、メランコリックな感じさえします。決して声高ではないにせよ、このさほど大きくもない作品からの囁きは強烈なエコーを伴って観客内部にこだまするのではないでしょうか。会場の扉を開けた瞬間の粛然とした空気は、やはり「ひとのかたち」を視認した後に来る、浸透圧のようなものです。ことに憂いを含んだ、ちょっと寂しげな女性の面差しの中に「何を考えているのだろう」といった奇妙な思い入れが生まれるところなど、先の恐怖感に少し繋がっていくのかも知れません。会場奥の部屋にある大作は先日、琳派の展覧会でも拝見したものですが、あの空間でのもったいない展示を考えると、やはり丁重な扱いであることが、これほどまでに作品を際立たせるのかと感嘆します。オーナーも「手が素晴らしい」とおっしゃってましたが、まさに舞踏関係の方がご覧になったらジェラシーさえ抱く、素晴らしい出来映えです。周囲にオーラの輪が見えて来るようです。この画像は、ちょっと勿体つけて後日にアップしようと思います。

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