「 Dasein ~ 藤林 慶海知 写真展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.04.05~04.10【 gallery shop collage 】

主に人物、それもシーン、例えばイベントですね、結婚式とか入学式とかのセレモニー。ブツ撮りもされるそうですが圧倒的に人が多いそうです。まぁ職業としてなら当然ですがリテイクが利かないシチュエーションですので、ご苦労もあるかと思います。職業柄、多くのカメラマンと一緒に仕事してきましたから、その辺はわかっているつもりです。で、そういったプロカメラマンはことにオフになると、もう思いっきりハジけます。それも多分昔の話でしょうね。ほとんどのカメラマンはライフワークにするテーマを携えて、仕事の嫌な汗をすっきりさせる「別な仕事」に打ち込んでいたりします。この個展を覗いてみて(すいません、ちょっと長いレビューになるかもしれません)写真展に、無意識・無自覚に 求めている “主題性ともいうべき必然” について、今回は多いに考えさせられました。しかし、しかしです。藤林さんの作品は極々、フツーです。失礼を承知で言うと拍子抜けします。だってスナップですから。僕はこの個展にふらりとやってくるひとの反応がどういったものか、概ね予想できます。それは「私にも撮れる」という感想です。まだインスタグラムの方が遥かに凝っている、という感想です。僕が藤林さんの写真を見てまず感じたことは「何か引っかかる凡庸さ」でした。会場にいらした当人と話しているうちに開けてくるんですね。写真展の写真にスペシャルな、また特異な、もっと言えば高い芸術性を持ったものを求めている人は相当数いるでしょう。あるいは報道写真に見られるようなリアリズムや強いメッセージ。藤林さんは歩きながら、オフタイムを過ごす市井(しせい)の人々が楽しそうに過ごしている時間、その空気、解放された気持ち、を撮ろうとしています。声掛けをして、撮ります。被写体の皆さんは多分少し緊張すると思います、が、ほとんど断られたことがない、とおっしゃるのも、カメラマンの強力な武器でしょう。藤林さんは言います。「こういう写真にはプロの手癖のようなもの、つまりカメラマンのプロたる部分をできるだけ出したくない」と。藤林さんが一番撮りたいのは「そうしているひと」なのです。他意の、邪気の、おもねることのない、自分の、自分たちだけの時間を楽しむ人を撮りたいのです。一番大きな“普通”な写真.風景を撮りたくて川のこちら側から引いて狙っていたのですが、手押しのカートを押しながらゆっくりと歩くお婆さんを気遣って、ゆっくりと、追い越せずにいる男性が映りました。やがてお婆さんが休憩でしょうか、休んだおりを見て、追い越して何か声をかけているのが見えました。結局この写真はそれがテーマになったのです。僕はこういう視点を持つカメラマンは「時刻に伴う光、影、角度、アングル、そして時間の切り取り方」という条件を越えたところで被写体を「感じている」と考えます。やはりカメラマンも人間ですから。実はフツーの写真を撮るということは存外難しいのかも知れません。先日、4×5のカメラを果敢にも(失礼)購入したと喜々と話されていました。出町付近に事務所を構えたということで、これで撮りたいとおっしゃっていました。「ひとをみる目」があるカメラマンは多分、何を撮っても「互いにひとである」という相互関係を作れるんではないかと、はたまたシッタカぶったのです。追記:場所は中書島です。ここは最初に介護職の現場だったデイサービスの場所で、とても思い出深いエリアでした。ご当人は「今度は駅前から続く呑み屋で撮りたい」とおっしゃってました。是非!

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