「 岩澤 武司 個展 ~ 瞳景/青の履歴 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.04.26~05.07【 galerie 16 】

死を意識するということ。
それは勿論、加齢という宿命から来る脅迫的な意味付けもありますが、
総体的にことさらに意識することが強くなったのは
やはり「死」というものの己にとっての抽象性と相反するかのように
災厄や戦争によってメディアに並ぶ実感のない死者の数から来るものではないでしょうか。
それはどこまでも想定でしか有り得ないからです。
つまり死の渕をさまよう経験をされた方、
あるいは一瞬のタイミングで死から逃れられたひと、
そして重い病気を患っている永遠のようなインターバルの中に留まっている方にとっての
「死する」ことへのスタンスと、
「平日」を毎日ボチボチと生きていけたら良いのだ、と呑気にのたまっている僕などとは、
おのずと違うということです。
岩澤さんの初見は3年前の同じシリーズでした。
さて、会場に整然と配置された写真作品は極端な横長比率で、
これは棺の標準的なサイズです。
そして画像は岩澤さんの「角膜に映った」光景です。
その人を認識し限定するものは様々にありますが
「虹彩」もその一つです。
虹彩の模様はその人だけのもの。
顔認識や指紋認識と同じように目を近づけて認証するアレです。
作家は「自分であることの独自性」と「自分にとっての死」を
ひとつの象徴的なサイズ、
あくまで自分“だけ”が見ている光景を一枚の写真作品として発表し続けています。
目の前、何センチかでシャッターを切るわけですが
カメラそのものが映り込まないように工夫されています。
これは写真の精度や質感といったものを評価するものではなく、
ひとりの芸術家が如何に自己と向き合い、
瞳に映る光景の中に「居て=存在しながら」現在を生き、
抗えぬ死への念(おも)いを提示するかというミッションではないでしょうか。
それが写真作品という表現方法を用いて
他者への示唆として、あるわけです。
入り口にある額装された油画「自画像」作家の瞳孔を描いたもので、
レンブラントの自画像と同じサイズです。

岩澤さんのHPは → http://doukei-kyoto.urdr.weblife.me/

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