名誉か、名声か…「ガウディになれなかった男」

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ガウディ

もう18年も前、ちょうど翌年のオリンピックを控えたバルセロナは
街中どこもかしこも工事中。とは言ってもそこはラテン系。
こちらが気を揉むほどに、なんとものんびりとした作業風景。
メインスタジアムの建設現場も閑散としていて、
シエスタが永遠に続いているかのようなゆっくりとした時間が流れる。
そう言えば、ちょうどサグラダファミリア教会の工事の様子とオーバーラップする。

「連なるバスに乗って、工事現場に入場料を払ってまで入るというのは
他では聞いたことがない」と筆者も語っているように、
このサグラダファミリアの現状自体は確かに異様である。
工事の進捗状況も今ひとつ把握できないまま、塔の階段をのぼりながら
これはガウディがいまだ、バルセロナ、いやスペインを代表する大建築家として
君臨していることのまぎれもない証拠なんだと実感した。
すでに世はガウディブームで、その認知度は相当なものだったと記憶している。

ガウディになれなかった男の話であるから、当然ガウディでは無い人の話である。
建築学科の学生であった筆者はかねてより訪れたかったバルセロナで
ガウディとの出会いに驚愕し、
以後はガウディ研究者として本国でも注目されるまでになる。
ガウディの造形にしっかり免疫ができていたはずの筆者が予備知識なしで
或るとんでもない建物に遭遇する。
バルセロナでは「モデルニスモ」と呼ばれる独自の芸術様式が流行していた。
当然、市中には他の建築家の作品が多々あるにも関わらず、
結局のところ着地点はガウディになる。
しかし、このモデルニスモでガウディと双璧をなす建築家がいたのである。
その建築家はリュイス・ドメネク・イ・モンタネール。
残念至極なのがドメネクのカタルーニャ音楽堂を
見ていなかった(というか全く知らなかった)こと。

ドメネクのバルセロナ万博当時の活躍ぶりは凄まじく、
最新鋭の建築方式を取り入れたカフェ・レストランや
なんと客室400、5階建てのホテル・インターナショナルを
わずか86日間で完成(!)させてしまうという離れ業を見せる。
以後は、さまざまな大仕事を依頼され、カタルーニャ各地に独創的な作品を数多く残す。
この辺からガウディとドメネクが共にライバル的存在となった。
ドメネクは25歳でバルセロナ建築学校教授になっている。
もともと裕福な家庭に育ち、建築家として順風満帆であったドメネクとは対照的に
職人の息子として経済的にも苦しく、また子供の時からのリューマチが孤独を呼び、
内気で、気持ちを伝える術をうまく持てず、生涯独身だったガウディ。

ライトやコルビジュといった、いわゆる“建築家”を超えた存在であるガウディ。
彼の建築造形の発露は、用意されたものは何もない、前に道があるわけでもない、
親の資産も無い、生涯孤独であった彼が最後まで頼るものは自分しか居ないという
貧しさへの反動や知識への貪欲さと職人的実践力に支えられているからかも知れない。
後に政治家の肩書きを持つに至ったドメネク。
あれだけのカリスマ建築家として名を馳せたにもかかわらず
晩年は誰にも知られずに、人生の結末は悲惨だったガウディ。

おそらくは永遠にその名を残すであろうガウディ。
そして今、知ることとなるドメネク。
ガウディが居なかったらドメネクは知られずにした不遇の建築家だったのか、
ドメネクが居たからこそ、ガウディが“活きた”のか…。
筆者はモーツァルトとサリエリとの関係になぞらえたりもしているが。

それにしても、カタルーニャというエリア、
ここは創造の神の安息地、あるいは地下深くに
怪物が潜んでいるとしか思えない芸術の磁場である。



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