「 High-Light Scene 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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大洲 大作/竹中 美幸/中島 麦 平田剛志(企画)
2016.05.04~05.22【 gallery PARC 】

なんせ、アマチュア中のアマなもので、
確か僕がキュレーターという言葉を知ったのはそう昔のことではありません。
こういう人が職業人として存在することに単純に
「そりゃそうだよな」といった感想しか持ち得ないほどに無知であり、
今も尚無知なままです。
僕が見て歩く個展はほぼ作家のセルフ・ディレクションですから、
個としての「作家度」のようなものが際立って前面に出てくるわけです。
当たり前です。
テーマは常に作家側にある、というわけですが、
このような展示を見れば、
個々の作家が示そうとしていることの共通項なり、
共通言語なりを探りながら、
作家自身も気が付かないようなテーマを主旨として確立させていくのが、
もしかしたらキュレーターと呼ばれる人たちの
ひとつの仕事なのかも知れません。
とは言え、これもまたシッタカぶってますが。
テーマはずばり「ハイライト」です。
映画やテレビ番組、いわゆる映像で言うところの「ハイライト」と
絵画用語としての「ハイライト」は厳密に言えば同音異義語なのですが、
ここに登場する三人の作家の作品に
この「ハイライト」という「法則を持つ語彙」を当てはめてみると、
方法、手段が異なりながらもそこに「ハイライト」が持つ
時間の「集約」や「抽出」といったニュアンスを見ることができます。
実は絵画や写真においての「ハイライト」というのは、
狙って撮る、写す、あるいは筆をそこに落とす、
塗るといった極めて意図的なものであり、
それは何故ゆえのことか、と言えば
「光」をいかに反映させるかということが、
もののカタチをどうやってそこに表出するかということに繋がるわけです。
めちゃくちゃ極端な例を上げれば
カラヴァッジョのコントラストに見られるものです。
ハイライトという言葉の二重性、
ダブルミーニングの妙というものがこの展示のキモではないか、などと、
シッタカぶるのです。
それが「ハイライト・シーン」と呼ばれる、
映像における高効率な情報伝達のセオリーとなっている技法と見事にカブるわけです。
大洲さんの車窓を過ぎる光景は
いわばリアルタイムな視覚体験よりもよりダイジェストな情報として溶かし込まれ、
また竹中さんのフィルムは事象の記憶装置から見た
ソフトウエアな側面を示し、
中島さんの筆と支持体が接することのない距離にこそ、
一過性の痕跡が画面にハイライトを創出させ、
絵を絵として成立させる重要なファクターとなっています。
フー、
平田剛志さんという名前は
そこかしこで目にしますよ、これからも。

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