「 中津川 浩章 展 ~ 愛は森に隠れている 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.06.14~06.26【 gallery morning 】

このギャラリーでの前回のグループ展にも出展されていた中津川さん。
その時はあえて「次回に個展をされますので」という「言い訳」で
レビューをしませんでした。
正直言うと、このような作品を鑑賞させていただく時に、
以前より「アブストラクトな作品への理解度」が乏しい自分としては
なるべく「ど素人」の眼で見ようと心掛けるわけです。
特に中津川さんの作風のような
「激しく、知的で、発熱するような、しかも、同時にクールであるところの」
さらにそこに、画家たる確信や哲学を見るような描きっぷりの絵には、
なおさらに腰が引けてしまうんですね。
だからなるたけ長い時間「そこに居る」ようにはします。
絵に限らず作品は一緒の空間に居る時間によって、
やがて焦点が合うように(もしかしたら錯視?)なるものです。
これはささやかな経験から得たことで、
これらの一見、刺すような、吐露するような印象の強い作品も、
丁寧に見て行くと、緩やかですが「?」が「!」になる瞬間が訪れるんです。

一本の樹を描いた作品があります。もうこれを見た瞬間に一気に作家に近づきます。
とは言ってもギャラリーは時系列に展示したり、
現在への過程を指し示す場でもありませんから、
淡々と見ている「フリ」をしたりするんですけど(笑)
中津川さんもステートメントを読む限り、
あの東日本大震災“以降”の「いつもの風景」に或る感慨をもって迫ってくるんですね。

生きていることを当たり前と感じる呑気さと、
その当たり前に至上の価値や愛を見る、ということを
今さらながらに教えてくれた災厄でしたが
「無くなっていく森」というものは、もう世界的レベルで
「成れの果てを」予兆させるに充分なアイコンにすらなっています。
つまりは破綻の象徴、ですね。
ここに生きるあまたの命をこそぎ取ってしまうのが人間か、自然かはさて置き、
中津川さんの作品に刺すような痛感を覚えるのなら、
ひとの業というものが招いた災厄も数知れず存在したことでしょう。
決して甘くはない、一気に描き上げるライヴ・ペインティング
(ドローイング・ペインティングと呼ばれるそうです)なテイストの作品の数々は、
時にジャズのインプロヴィゼーションやシンコペーションを想起させます。

来週の日曜日まで、ぜひ!

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