朧(おぼろ)なる空気…「みやじけいこ個展 記憶の地平」

Category : 現代美術シッタカぶり
みやじ

6月30日→7月11日【ギャラリー16】

全くの暗室状態の会場。
2つの展示。
ひとつは、木の丸椅子に映る木漏れ日の様子。
真上から正円の映像が白塗りの椅子に降り注ぐ。
当然、椅子にも映像はかぶり、
切り取ったようにそこだけが、涼やかな印象を与える。
が、作家の本意は別のところにあるのかも知れない。
映像は日没から朝、そして日没と10分ちょっとの周期でリピートされる。
風にそよぐ葉の動きは、一瞬虫が止まったかのように
一瞬だけ震える。
最初の涼やかな、という印象にだんだん陰りが生じ、
一抹の不安と、あてにならない記憶をたぐり寄せるような
不安定な気持ちになってゆく。
倍速の葉の動きが、僕の気持ちをせかすように見える。
切り取られた穴の中の記憶の糸を探すような…

最初はインスタレーションというより
舞台美術のような印象を受けた。
みやじ氏に率直な感想を述べたところ、
昔、演劇をされていたと言われた。
なるほど…。
なんだか妙に納得した気分で、ちょっとうれしい。
舞台環境に居たことが、図らずも記憶の中で、薄目が開き、
このような“装置”としての造形を得たのかもしれない。

僕はこの椅子作品でもう満足してしまった。
端的で完結で、その形そのものが、なんとも美しい。
このシンプルさが心地よい。
だから、陽気に前向きに捉えてみようか。
ある日の午後、何も考えずに時間の過ぎ行くままに葉影の中に居る自分。
それは幼い頃のワクワクするような“イベント”の前ぶれか
それとも落ち着かないままに、あてどもなく彷徨う
頼りない自分自身の投影か…。

みやじ氏のコメントには「表象」というあまり聞き慣れない言葉が出てくる。
知覚に基づいて意識に現れる“像”のこと。
それは目の前にしっかり“在る”「知覚表象」、
記憶によって再生される「記憶表象」、
そして想像による「想像表象」がある、とある。
心の目に見える風景やシーンは常に断片でしかなく、それ自体は怪しげだ。
その“朧(おぼろ)”こそに人は潤いや独自の湿気を感じ取るのだろう。
人と人の関係性もまた、この魅力的な怪しさに満ちている気がする。
会った、話した、触れたという事実はあるものの、やがて消え去る。
残るのは共にそのひとときを過ごした感覚。
その感覚に頼って、人は生きているのかも知れない。


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