無作為という作為…「山添 潤展」

Category : 現代美術シッタカぶり
山添

6月30日→7月12日【アートスペース虹】

石を彫るという行為そのものに理由を求めるのではなく、
結果として石側から気付かせてくれるのではないかという
作家の思いが込められているように感じてならない。

石は最初、空気を分けて、そこに“在る”。
人の手で切り出されたという事実はこの際、無視しよう。
さて、彫刻家の目の前にある大きな黒御影石の塊は
果たして、そこに在ることで何かを期待する。
作家ははたと考える。
何を彫るのか。
どんな形に彫るのか。
考えているとなんだか石に見透かされるような気になる。

元あった体積は
鑿(のみ)と槌(つち)によって、いやもっと正確に言えば
それを企む人間によって、破片と粉塵というため息を排泄しながら
徐々になにかしらの意志の基に形をあらわにする。
しかし、想定された形に向かって彫るのではなく、
手が、石が求める形に彫っていくのだ、
いや、彫らされていくのか…。

筋肉がきしみ、緊張と弛緩を繰り返す。
鑿の先は故意に丸くされる(とオーナーがおっしゃっていました)
彫ると言うより丸く叩いているようだ。
石の“痛み”を封じ込めるように、ただひたすらにコツコツ
撫でるように、彫る。

ここにあるのは費やされた時間と放たれた力。
あるものを彫ったのではなく、
作家が言う“密度の集積”が塊になったもの。

この1.5トンの重さが訴える物体は
もはや人の気を吹き込まれた
“声なき声”をその石肌から発する、
あくまで「黒御影石」という名字を持つ“躯”。

出所出自は茨城県は真壁。
京都への旅はいかがなものだったろう。

形あるようで、ないような“作為”を感じさせない塊は
今日も無言で佇んでいる。
が、作家には聞こえているはずだ。
彫りながら対話し、その反応でまた鑿を当てる。


「私の行為が、沈黙する石の中に呑み込まれる
私は石を彫ることで生まれるある気配を求めている

力と時間が重なり合い増してゆく密度
その集積がやがて塊化する
それはまるで石がもがいている姿の様にも見える

求める気配とは
光と陰の中に現れる石の?が
沈黙を破ろうとする「声」なのかもしれない」
               (作家の言葉より)


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