「 現在的介護私感 」

Category : 浮世の「うっ!」
そら

僕はブログでもフェイスブックでも、
ことさらに介護について書いたことはない。
グラフィックデザイナーという
(僕の場合は中々にエンドユーザーが見えにくい環境にあった)
ほぼデスク上のディスプレイと向き合いながら終日を過ごす中で、
あるいはオリエンテーションと称する殆ど時間のムダとしか思えないような
不幸な機会ばかりに巡り会ってきた中で
僕は確かに疲弊していた。
後半20年ほどはフリーランスとして、盆暮れなしに働いてきた記憶しかない。
さて、そんな机上の仕事、あるいは納期という抗えぬ壁の前で
いつも嫌な汗ばかりかいてきた僕が、
母の終末期に様々な手立ての一環として当然ながら介護施設のスタッフや
ケアマネージャーとお話しさせていただいているうちに
この「現場」で、もしかしたらリカバリー(を予期していた)したい己の
身の置き所が見つかるかも、
そんな風に思えたのは、もしかしたら一重に対応していただいた方々の
人となりに魅力を感じたからかも知れない。
一切のデザイン業務の停止、取引先への説明、事務的処理、備品の後始末、等々…
煩雑な日々の中で、しかし次第に介護現場なんかで働けるのだろうか?
あの時の決断が徐々に不安に変わっていった時に
無資格でも採用、というほぼ無条件でのデイサービスの仕事を得た。
3つの現場を渡り歩き、あれから丸5年を越えた。
なぜ、今こんなことを書く気になったかと言えば
現場で起こっている様々な問題や案件、対応について
自分にも現場にも足らない何か、それを探りたいという
強い思いがここへきて頭をもたげてきたのだ。
ひとつの区切り、そして、こう考えていたという備忘録の意味も含めて…。

さて、介護現場というのは、或る種の明解なベクトルの元、
そう、セオリーやテクニカルな「手法」や「考え方」に
“強制的な” 共通認識を持たざる得ない現場である。
介護する側の個体差というものも充分に考慮したノウハウが
おそらくは何百冊という書物に書かれていることだろう。
そしてお決まりのように、お題目のように唱えられる
「寄り添うように」という言葉の、なんと欺瞞に満ちた響き。
結局この抽象的なスローガンの連呼が
介護職員を苦しめてきたのではないか。
寄り添うという、弱者への見立てそのものが
結局、ケアという言葉に集約された「間違った尊厳観」を
刷り込んできたのではないか。
介護職員の慢性的な不足の解消としての報酬アップは
あくまでも一時的なカンフルにしか過ぎないのは
誰の目から見ても明らかである。
「魅力のない現場」は「魅力に欠けたスタッフ」が作る。
介護の現場がやはり、詰まるところ
3Kであることは言うまでもないし、これからも変わらない。
介護ロボットや先進テクノロジーのエピソードは事欠かないが
現場に降りてくるのにかかる時間を考えると暗澹とする。
だとすれば、やることは何か。
それは介護スタッフの「感性」を磨くことである。
実務的な「効果」や「結果」だけが評価され、
豊かな知識、場数を踏み、判断力に長け、
頼れるスタッフが優秀であるという不文律は
変わる事はないが、それ“だけ”でいいのだろうか。
介護スタッフは言うまでもなく良好な接遇を求められる。
当然ながら相手は人間であり、
ダンスでいうところの「コンタクト・インプロヴィゼーション」を
強く求められる。
なぜなら彼ら利用者は、今日と明日では人格が入れ違ったのではないかと
思うほどに、激変することがあるからだ。
インプロとは即興。
その場、その場の対応が物を言う。
失敗しても間違ってもいいから、ダイレクトに接すること。
ここにセオリーは無い。
誰にも読めない現実。
確かに出勤する時は開口一番、いつも前のシフトのスタッフにこう訊く。
「今日は平和?」

介護スタッフはいつも何かに呪縛されている。
僕は最近、自分も含めてそう感じる。
だからこそ「対応力」というものは
そのひとの「感性」が補えるのではないか、と。
僕はフリーランス時代に、時間をみつけては
劇団で公演し、ダンスで公演し、朗読し、
様々なワークショップで、いろんな人たちと出会い、
まさに一期一会のひと時を多く過ごした。
そして結果的に多くの人たちに多大なる迷惑をかけてきた。
相変わらず今もそれは変わらない。
僕には実際失うものなどない。
ただやりたくなったらやるだけだ。
介護=ケアを特定の方法論でしか論じられない人は実に不幸だと思う。
それは介護に限界を作り、スタッフの精神的な充足感を奪う。
精神的な充足感って?
世の中には色々な人たちが居て、いろいろなことをしている。
では彼らはその「いろいろな人たち」にどれほど出会うか。
つまり様々な価値観を知るということであり、
何をもって充足するのか、何にとまどうのか、何に悩んでいるのかを
知るチャンスを日常生活の中で得る努力をしているのか、ということ。
そういう人たちと近い距離で接すること、
そういう活動に触れること、
寸暇を惜しんで足しげく通い、創造する喜びに少しでも触れることこそが
自分を広げるきっかけになるのではないか。
僕は休日のほとんどをギャラリー巡りで作家と会い、話することに費やしている。
他でもない、彼らへのジェラシーがそうさせている。
それは自分自身への発奮にも繋がり、活力へと導かれる。
狭義として自分の職を捉えてほしくないのである。
様々な研修が予定にアップされ、粛々と“こなされて”いるような現状では
どこまで行っても介護職の労働環境なんて変わらない。
そんなことやっている暇があったら、
インプロのワークショップでも受けた方がはるかに効果的である。
こうして機会はどんどん失われていくわけである。


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