「 THE PLAY since 1967 ~ まだ見ぬ流れの彼方へ 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.10.22~2017.01.15【 国立国際美術館 】

勿論1967は僕が中1の時だからリアルタイムでの活動は知る由もないんですが、
このなんとも心地良い響きを持つグループ名は、
その5年後に家を出てヒッピー化(そんないいもんではなかったかも知れない、
ここはフーテン化としておこう)しつつあった僕にとっての時代性というものと
感覚的に細い糸だけど繋がってきます。
つまり現代美術やら芸術性やらという事よりも、
彼らの「行為から生まれるもの」への共感や気付きそのものが
今とても新鮮であるということなのです。
なぜなら、言うまでもなく現在置かれている個人あるいは団体と称されているものが、
かつての彼らと同等、またはそれ以下の規模でもって
「行為」を計画し実践しようとしても、殆どが叶わないであろうという事実。
ぼくが言いたいのはそれこそが時代性であるということです。
時代性とはかなり大雑把な言い方ですが
“あの” 時代から今を眺めればなんと窮屈で、制約的で、
政治的で、防御的で、さらに「恐怖的」なことでしょう。
「ハプニング」という言葉を初めて聞いた頃が
うっすらと記憶のファイルから立ち上がってきます。
今、日常的に、政治的に、人種的に、世界的に、ハプニングが起こらない日はありません。
自爆テロから子殺し、ハラスメントに至るまで、
なんとも劇場的な報道や顛末を見るにつけ、
当時にPLAYが試みた行為そのものが何と純粋で清廉に映るかと思います。
今までにPLAYに参加したひとは100名を越えるそうです。
ここに教条や信奉があったなら、これほど魅力的にはならなかったでしょう。
さて、ひとつ。
ギャラリートークの最後に「一人だけ」質問を許された中で、あるおじさんがこう問います。
「現代美術とは何か、そして、現代美術とPLAYはどう関係するのか」。
来られている皆さん方の反応に実は興味があったのですが、
主任研究員である橋本梓さんは端的に素晴らしい返答をされました。
ちょっと感動し、思わず隣の女性に「完璧ですよね」と言ってしまいました。
「これこれが現代美術、芸術なのではなく、
作品(例えばここでは行為)を通じて、どう考えるのか、ということであり、
その場を提供するのが美術館なのです」と。
だから、ではないのですが、ここでは大きなキャプションのみのアップにします
(時系列ではありません)
さて、想像&空想のひととき。

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