クロスさんが変態するとき…「イシカワチサト展 ~異装~」

Category : 現代美術シッタカぶり
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9月1日→9月30日【lleno Gallery】

明快なものほど奥行きがあるもの。
ひねくり倒せばするほど、なぜか薄っぺらになる。
少なくとも僕はそう思う。
これは言うまでもなく明快チームの4番打者。

これらの服はいわば「服としては機能しない」代物。
それでは“服”とは一体何か。
「疑うことすらない当たり前」をここまで引き戻す
“引力”をもったアイテムが所狭しと陳列されている。
見ていて実に楽しいのは、その表情があっけらかんとしているからだ。
しかしその表情に無くてはならないものがある。
それは“正当に縫製された服”であると言うこと。
言い換えればリアルであること。
マグリットやエッシャー(作家本人はお好きとか)のように
「あるやも知れぬ不思議さ」を醸し出すこと。

これは建築で言えば、ドアのない家。
塞がった銃口。
リビングもあれば、弾も込められる。

クローゼットの中で息づく服たちが心待ちにするのは
袖を、足を、首を通して世間様に大手を降って見せて歩ける
“服”という絶対的な存在の主張。
これがなければ裸で出歩くことになる。それはマズい。

「用」を成して初めて服と言うのは“着られる”人がそこに居るから。
だから、これを「服」と呼ぶことは確かにはばかれる。
服を“服然”と作る人から見れば、失笑ものだろうが
石を投げる人が居ればこそ、途端にアートは色めきたち、断然おもしろくなる。

これは服への否定でも皮肉でも諧謔でもなく、
“服を構成する素材にまつわる諸々の事情”に過ぎない。
ただし、その事情たるや人に首を傾げさせ、当惑させ、
言葉を失わせる羽目にさせる。
ドアの影で、ほくそえんでいる作り手が見えるようだ。

着られないという“確証”と“自信”をもって制作された異装は
用を成さないものがいかに奇妙キテレツに変異するかを物語る。
私たちはここに足が通ろうと通るまいとおかまいなしに
イマジネーションを働かせてアタマの中で
勝手に立体化して構わないのだ。
「それぞれに特化した辻褄」を合わせてこそ形作られる
鉄や陶器にはできない芸当が、生地にはある。
まるで“着られない自分自身を謳歌する”かのごとく…。

これこそ「CLOTHOVER」か。


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