“祈り”の色彩はどこまでも澄んでいる…「西村正幸展:いのちの水」

Category : 現代美術シッタカぶり
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9月1日→9月13日【ギャラリーすずき】

1969年に発表されたブラッド、スウェット&ティアーズの
デビュー作は「子供は人類の父である」というタイトルを持つ。
アル・クーパーがいた時代だ。
メンバー9人がそれぞれ椅子に腰掛けた膝の上に
本人の“ハンコ”のごとく同じ顔をした子供が座っている。
パラドックスに思えるこのタイトルが、
僕の中で子供、いや、それ以上に大人を語る時に
常にアタマの中で揺れ動いてから随分と経った。

以前ドキュメント「プロミス」についてコメントした時も感じたことが
西村氏の絵の前でよみがえる。
彼らの住む、それぞれのエリアの頭上の空は抜けるように青い。
その青さを横切る砲弾や、青空に飛び散る肉体をイメージする時、
大人たちの蛮行(いや国家の)に手も足も出ないのは
西村氏の一貫したテーマの”silent minority”である子供たちだ。
内線状態のアフリカや中近東、かつてのヘルツェゴビナ、
さかのぼれば、世界中が“戦争病”にただれた、あの時代の
「子供たち」はあまりに無力で、あまりに“存在”していない。
誰の目にも“見えていない”のが子供たちなのだ。
自分たちが生まれる前から戦争状態であるということは
大人と同じ方向へ憎悪をぶつけると言うことだ。
教えなくても子供にもそのくらいはわかる。
それは多分日本人の理解を超えた(あるいは真意としての)
「民族的なるもの」が闘争や衝突によってあからさまになることで生じる
精神的格差の自動的な刷り込みなのだ。

アーティストとしての出自に関係するかどうかはともかく、
キリスト信者である西村氏が痛切に感じ取る「ミッション」が
ここに表れているように思えてならない。
しかしその表面は実に穏やかで不思議と“凪いでいる”。

ギャラリーの方がお話される西村氏のなんと魅力的なこと。
家族・介護・仕事・フットワーク…そしてご自分の“芸術”。
それらは一つの地平に並んだ、氏にとっての必然に過ぎず、
肩を怒らせるでも、アジるわけでも、諭すわけでも、説教するわけでもなく…。

静謐な面差しを持ったこれらの作品は、
“彼らの住む場所”と“聖なる形なき神”、
戦争という狂気にあっての“至って日常な死”に対する「強烈な憂い」と
同時に“死なずにいて欲しい”という「切なる願い」に見える。

決して悲しさや寂しさや切なさを感じさせることのない
とても軽やかで愉しげな色の響きが
それぞれの家族への愛情や守らねばならぬ絆を思わせる家々の
シルエットに象徴される。

「子供は人類の父である」というフレーズは
僕たちに、いかに多くの子供たちが戦争の犠牲になったか、
そしてまだまだこの先も絶えることなく
カウントされるであろう危惧を、戒めをもって伝える“人類への警告”だ。

戦争とは“我に帰った”時には
相当数の命が地上から消えているという“残酷な方程式”なのか。

あれから8年。
9.11はいつものように静かにやってくる。
アメリカが我に帰った時の、あの市民の反応や意見は歴史の教訓だ。
憎しみを抱えたまま歴史を綴るほど悲しいことはないはずだ。



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