暗さがあるから光を感じる…「横田 順展 光の中で」

Category : 現代美術シッタカぶり
横田3

横田2

横田1

9月15日→9月20日【ギャラリー恵風】

墨の濃淡による、心象風景の断片。
大きく「dark」な面と「bright」な面の両面構成となっている。
どちらともとれる名前から男性の作品であろうと
(何という愚かな先入観)思いきや、会場にいらした女性のもの。
書家であった横田氏の作品には、
なるほど出自が良く表れている。
それは“筆に辿らせる墨の行方”についての
繊細な思いではないだろうか。
いわゆる抽象絵画ではあるが、画面に漂うテイストはとても日本的だ。
誰も油彩で書道はしない。描かれる素材あっての墨。
やはり書家は墨をとことん知り抜いている。
付き合いも半端ではない。

文字はどこまでも意味性を持ち、
その場であっけらかんと完結する。
それを書家の筆使いで芸術にまで増幅させるものではないかと思う。

書から絵へ、と言ってしまえば実に素っ気ないが
同じ平面で、同じ和紙の上で躍動する線や落とされる雫の波紋は
それが「字」であるか「絵」であるかで、全く違った形になる。
字のように絵を描くのではなく、
自分の強い思いを筆の先の墨に託して、生まれ出た横田氏の必然。

暗い所に居れば光を感じることができる。
人にとって、切実な時間の連続は残酷でもあり、喜びももたらす。
光は闇にあって活きるもの、闇は一筋の光に救われる。
しかし闇に居る時の方が得てして正直なものである。
光に居ると温かく遠くからでも見えるから目立つ。
加えてとてもまぶしい。
手をかざすと大事なものを見落とすこともありうる。
虚勢や要らぬプライドは光の中に立っていたいと願う“裏側の真実”なのだ。

氏の絵そのものは優しいタッチで柔らかく、優しく、
絶望や失望感、喪失感、あるいは厭世的な印象はほとんど感じられない。
闇が光にとっての必然であり、光にとって闇は照らす対象なのだから。
「対」としての役割こそが、絶対矛盾的自己同一の根源なのだ。


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