Book : 救われぬ魂…「心にナイフをしのばせて」

Category : 100円本雑読乱読
ナイフ

奥野修司(文藝春秋)

発売された当初、内容や書評を見るにつけ、
とても読める心境にはならなかった。

1969年に起きた、この事件の衝撃は強烈に残ってしまっている。
神戸の「酒鬼薔薇」事件の時、真っ先に脳裏をかすめたのが、この事件だった。
当時の新聞記事を見て震え上がった記憶があるほど凄惨なものだった。

そして翌年の11月。
中学三年生の僕は届けものをしに職員室に入った瞬間、テレビのニュースで
三島由紀夫の自決を知る。
当時のその場の凍り付くような雰囲気、教師の驚きの声、
唖然とした空気を肌で実感している。

この本を手に取ろうと思った直接のきっかけは
あの時は“怒り”や“あきらめ”の感情が読後にほとばしるような
後味の悪い感じが予測できたからだ。
そこまでして本は読みたくない、というのが本音だった。
しかし古本市で本棚の前のこの背表紙と向き合った時、
読んで欲しいと言われているような気がした。
リアルタイムで見聞きする事件とは
当時の年齢や自分をとりまく環境、友達との関係、
そして家庭内の不和などが、その事件に何らかの感情でリンクするものだ。
高校進学、強いては将来の進路も含めて、思い出したくもないあの時代を
新たに思い起こさせる。

主に被害者の妹さんが語る家族の過去、現在が
よくここまで、と思うほどに切々と書かれている。

私じゃなくて、なぜ兄が…
代われるものなら私が…

これは事件の被害者の近しい方々の口から
漏れる無念の表れであり、じくじたる思いが吐露された
痛々しい言葉である。

妹さんは自暴自棄にはならないものの、
思い出の中で自分自身を「いらん子」として位置づけているところに
アイデンティティを置こうとしている節もある。
一言で言えばヤンチャな女の子。
はっきりと物申す、そのスタンスが時折トラブルの原因にもなったりする。
それに引き換え、兄は…

その後壊れた母、愚直なほどに誠実に生き、
自分は信じようとしなかったキリスト教へ改宗した父、
全くの素人があるきっかけで始めた喫茶店のこと、
その店を助ける近所の人々のこと、
兄の同級生のこと…

それぞれに生々しい“生きること”そのものと
決して“触れない封印された過去”との
ガラス細工の天秤のような危うさが胸に痛い。

教師である兄の同級生を訪ねる。
何をいまさら…同級生自身も封印してきた忌まわしい過去である。
改めて妹さんの行動力と決断力が
「何があったのか知りたい」という気持ちの強さを伺わせる。

この本の一番の関心事は
実は“人を殺めた(それも言語に尽くしがたい状況に)”当事者が
弁護士として事務所を持ち“のうのう”と生きていることである。
実際この部分に割かれたページはそれほど多くはない。
例の個人情報が引っかかってくるからである。
この事実を知った人、本を読んだ人は皆、
「なぜ、弁護士なのか?」とごく普通に疑問を持つはずだ。

ページが終わりに近づくにつれて
実は何一つ終わってはいない、
むしろ「更正」や「社会復帰」や「人権」といったキーワードが
この殺人というリアルな悲劇に対して
何の意味も持ち得ないのではないかという“絶望”を強く感じた。

ついに妹さんは“その”殺人者と“会話”をかわす…

そして、それはまぎれもない“無常の極み”を読む者に与えるのだ。


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